2024年1月22日月曜日

いろいろ捨てる人が、捨てている事に気が付かない大切なモノ

 プリンタのインクカートリッジの交換で、使用済みカートリッジへインク漏れ防止のキャップを取り付けようとして手を汚してしまう。そんななにもかもダメな日。

インクカートリッジは面倒くさくてもリサイクルに回さねばならないそうだ。「インクカートリッジ里帰りプロジェクト」というのがあって、プリンターメーカー4社が合同でSDGs的な良いことをやってますアピールをせっせとしている。

そして同時に相変わらず血液よりも高いインクを互換性もへったくれもなく「我社のこの型番のプリンター用のカートリッジはコレ!」商法でばんばんと使わせている。一体どのへんがSDGsでエコロジカルなのか首根っこ捕まえて訊いてみたいもんです。

ま、それはさておき。

断捨離だスパークジョイだでモノを捨てたりリサイクルに回したりするのが当たり前の世の中になってしまい、僕のように異常に物持ちが良い人は住みにくい世界となってます。

僕は置いておけるなら、今まで手に入れたすべてのモノを手元に置いておきたいタイプなので「捨てろ」と言われるのがとても辛いです。なぜ世の中の人があれほどモノを手放す事に夢中になれるのかとても不思議です。

日産のCMのコピーさながら「モノより思い出」とか言う人も多いが、その人達は結局、モノにまつわる思い出もポイポイ捨てているという事実に気が付いていない。

そのように言われるとOfficial髭断捨離ismやスパーク・ジョイナーな方々は決まって「いやいや気が付いてますよ。でもそれはちゃんと思い出は思い出として記憶してるから、モノは不要なんです、げへへへへ」と気持ち悪い笑顔で言うのだ。

いやいや、全然気付いていない。

君たちはモノから想起される思い出を綺麗サッパリ捨て去っているのだ。だから、君たちの頭の中にある「思い出」は確実にどんどんと少なくなっていく。これは記憶のメカニズムがそうなってるんだから仕方ない。あきらめろ。言い訳するな。

例えばTシャツのような表面的・二次元的なモノなら写真にでも撮っておけば大丈夫だろうが、本やゲームみたいに中身や内容のあるものは、読んでみて、やってみて初めて思い出す事もたくさんあるのだ。あの時、誰それとこの本のこの部分で論争になったなとか、このゲームは◯◯くんと一緒にクリアしたな、とか。さらに言うと、その場面、そのページにやって来ないと思い出さない事もたくさんあるのだ。そういった思い出を君たちはもう二度と思い出すことはないのだ。ミニマリストの記憶は "物心つきました → ああ死ぬんだな" これだけだ。

実際のところ、僕も今まで大量の本を捨てさせられたから、これが大変悔しいのだ。その本にまつわる思い出がごっそりないのだ。あと教科書とか、ノートとか、学校のプリントとか、そういう物も。

しかしながら、手元に大量に残しているモノ共も、定期的に見返したりするのかというと全然そうではなかったりして、結局、捨てているのと等しい扱いなのである。これは否めない事実だ。だからまあ、みんななんとかモノを捨てようと思うんでしょうけどね。

ああ、モノを捨てたくない。しかし、捨てねばならないのだ。

映画で出てくるアメリカの家みたいに、地下室や屋根裏部屋があれば良いのに……。

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