2024年1月10日水曜日

半径5mの見聞録

 昔の事をちょろっと書きたいと思うこともあるのだけど、これが案外難しい。

自分の記憶と世の中の出来事にきちんと整合性を持たせようとすると、とにかく膨大な量の資料にあたらないといけないし、資料を見れば見たで「自分の記憶と違う」という事態も発生する場合もあるし、この辺が難儀なのだ。

タイムマシンにお願い
(いらすとや)

でも、そんな過去の整合性よりも、自分の記憶だけを頼りに昔の事をさらっと書いてみたい時ってあるでしょ?


もともと記憶は完全ではないし、断片的だし、とても曖昧で、後々の現象で記憶がすっかり変わってしまう場合もある。

だから、他人による反論や反証はとても簡単なんだけども、でも本人の中ではその「完全でもない断片的で曖昧な記憶」はとてもリアルなのだ。そして、その「間違っているかもしれないがリアルな記憶」を誰かに伝えたいと思う時だってあるのだ。

しかし当然ながら「間違っているかもしれないがリアルな記憶」に対しては「これこれこういう理由でその記憶は間違っている」とは言われる可能性はある。それは、仕方のない事なのだが、自分にとってはとてもリアルな記憶だから、その反論や反証は心情的には非常に辛かったりもする。

もちろん科学的・理論的な反論や反証であれば「それはそうだ」と聞くぐらいの理性はありますけども。

なんでこんな事を改めて書いているのかと言うと、今後当ブログでは、自分の体験した話を「あまり資料を探さないで記憶をベースにサラッと書きたい」のですよ。なので、記事に対して反証や反論を見つけた場合は、そっと優しく注意してねと、まあそういう事を主張、お願いしたい訳なんです。

ちなみに、このブログでは本記事以前にも自分の記憶を頼りにした記事が何件か上がってますが、それらは記事ごとに「これは自分の曖昧な記憶で書いたものなので正しいとは限りません」みたいな注意書きをしています。でも、さすがにそれを今後毎回毎回書くのも面倒くさいなと、そう思うようになったんです。

だから、これまでもこれからも、このブログに書いてある過去の話は、せいぜい僕を中心とした半径5mぐらいの範囲の体験談だなと、そう思って欲しいんです。おおむね正しい部分もあるだろうし、他の人の体験した記憶や世の中の常識とは大きくズレる部分もあるよと、そういう事を念頭に置いておいて読んで欲しい訳です。

まあ、他人からしたらこんな事はどうでも良い事なんでしょうけど、こういう事をきちんと書いておかないと、自分がちょっと気持ち悪いもんで。

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余談ですけども。

本当は今日は昨日の続きで「ブレードランナー(リドリー・スコット監督/1982年)」の事を書きたかったのだけど、資料を探したり裏付けを見つけたりするのに相当な時間がかかる上、自分が映画公開時に見聞きしたモノは、ものすごく狭い範囲の体験なので、誰にも当時のリアルさが伝わらないかも知れないと思って、記事にするのを躊躇してしまったのです。

しかし、当時、自分が体験した事は、自分にとっては確かに現実のものとして記憶している訳だし、当時そういう体験をしたという記録自体が世の中からなくなってしまうのは、ちょっと惜しいなと、悶々としていたのですよ。

でまあ一応、今回このように「言い訳」を書かせてもらったので、今後は自分の記憶通りにいろいろな記事を書きたいと思います。

それが面白いかどうかは別の話ですけども……。


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