2024年1月17日水曜日

阪神淡路大震災の時、身の回りであった事

 また、今日という日がやってきました。1995年から29年経った。ずいぶんと早いもんです。

そして、今も石川県をはじめ北陸の一部では能登半島地震で被災された方々が大変困難な状況にあります。一日も早い復旧をお祈りいたします。

今回は、阪神淡路大震災にまつわる話しを少し書きます。被災体験というような話ではないので、なんの教訓的意義もありませんが。

地震のあった時、僕は失業中で、しかも1月17日はハローワークの認定日だった。認定日というのは、「この日までは就職活動を頑張ったけど、就職できませんでした」というのをハローワークから認めてもらう日の事で、この日をすっぽかしたり遅刻したりすると失業保険が貰えない場合があるというそんな日だ。

地震のおかげで6時には起きてNHKで情報を見ていたが「とにかくデカい地震だった」という以外はほとんど分からず、ハローワークへ行った方が良いのか解らない状況だった。

9時を過ぎた頃にハローワークに電話をすると、冷静な職員が対応に出た。

「今日認定日なんですけどどうしたら良いですか?」
「来て下さい」
「阪急電車が停まってるので、時間通り行けるかどうか分からないんですが」
「15時までに来てもらえたら、通常と同じと認めます」

僕の認定時間は朝の10時~10時半までだったので少し助かったが、それでも絶対に今日中にハローワークに来なければ認定しないぞという強い圧を感じる対応だった。

大阪はそれほど被害がなかったとは言え、信号の消えてる交差点もあるし、コンクリートや瓦の破片が道路に散乱していたり、電線が切れて垂れ下がっているところもあった。そんななか、僕は雇用保険受給資格者証を持って十三のハローワークまでえっちらおっちらと自転車で向かうことになったのだ。

ハローワークに到着し、担当窓口で受給資格証を渡すと、担当者はいつもと違ってカウンターの台の上で受給資格証を手書きで記入しだした。そして、受給資格証を僕に返す時に

「コンピューターが止まってるので、(失業保険の)支払いは二週間ぐらい遅れると思います」

と告げたのだ。

「ほんなら今日こんなに急いで来さすなや~」と思いながら、余震の続く道を急いで家まで帰ったのだった。

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その当時、家の近所に住んでいた通称ゲタさんという人は、彼女が神戸に住んでいた。地震後すぐに連絡は取れて無事は確認出来たのだが、家は半壊で電気もガスも止まっているという状況だったそうだ。そして、とにかく食べ物も飲み物もなにもないという事だったので、ゲタさんは自分のバイクに食料を満載して、彼女一家の待つ神戸へと向かうことにした。

食料を渡して一段落ついた後、日が完全に暮れると危ないという事でゲタさんは早めに出発することにした。

彼女には中学生の弟が居て、ゲタさんの事を「お兄ちゃん」と呼んで慕っていた。その弟が、大阪に帰るゲタさんのバイクに向かって大きく手を振り、そして走って追いかけてくるのがバックミラーごしに見えたのだそうだ。

こんな未曾有の被害を受けて、ホッとしたのも束の間、頼りにしていたお兄ちゃんが帰ってしまう。もしかしてそれで急に心細くなったのだろうか?

そう思ったゲタさんはバイクを停めると、走ってくる弟を励まそうとバイクから降りて手を広げて待っていたそうだ。

するとその弟は、ゲタさんの前まで来ると抱きつく事なく笑顔で「お兄ちゃん、『マクロス』録画しといてな!」とだけ告げると、踵を返してさっさと家族の方へ帰っていったのだそうだ。

ゲタさん曰く「子供はたくましいわ」と。

※「マクロス」は当時やってた「マクロス7」の事です。

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