2022年5月9日月曜日

過去からの一撃 ー 写真今昔物語 ー

過去からの一撃 ー 写真今昔物語 ー
または1999年の鹿児島旅行
(画像:いらすとやさん)

つい先日、昔使ってたデスクトップパソコンの内蔵HDDを、ダメ元でIDE to USBケーブルで繋いでみたら、数台がきちんと認識し、中身のファイルを取り出す事に成功した。

救出できたファイル群は、当時の僕が一生懸命編集した動画や、ホームページの素材、そして、デジカメで撮った写真などなど。

(「続きを読む」以下、およそ3,000文字)


なにもかもが見つかって嬉しいモノなのだが、特にデジカメの写真は、誤って消去したと思い込んでいた1999年の九州旅行のものがまるまる全て残っていたので、喜びとともにびっくりもしてしまった。

で、その「九州旅行」の写真を見ると、当時から今まで撮影スタイルがまるで変わってなくて、これまた喜ばしいやら苦笑するやら。

そんな訳で、ここでちょっとだけ当時の写真を公開します。大した写真じゃないですけども。

これ以降を読むにあたっては、以下のような時代背景が判っていると、より面白く読めます。

  • デジタルカメラの一大ブレークスルーを産んだ名機 カシオQV-10の発売が1995年。解像度は320x240の25万画素。QV-10は6万5000円もしたが、これは当時のデジカメとしてはありえないぐらいの低価格だった。

  • 「写ルンです」を筆頭に各社がフィルムの使い捨てカメラを出していた。写真はそれまでに比べて「お手軽に撮れるもの」になっていたが、それでも「記念で撮る」という風潮は強く残っていた。

  • また、「お手軽に撮る」にしても「記念で撮る」にしても、撮れる枚数が少なかったので、「無駄には撮らない」、「変なモノは撮らない」、「撮影のタイミングには気を付ける」という雰囲気が存分にあった。

  • デジカメの存在は世間に認知されていたが、「写真」と言えばフィルムの方が当たり前で、デジカメを使うのは「必要に迫られて」か「新しいもの好きの好事家」といった印象だった。

  • デジカメは単3電池による駆動が一般的で、使っているとかなり早く電池を消費してしまう問題があった。

  • デジカメにしても使い捨てカメラにしても、カメラを常時(毎日)持ち歩くという常識はなかった。カメラを常に持ち歩いているのは、職業カメラマンか変わり者かのどちらかだった。

  • 当時は32Mのメディアでも容量としては「大容量」で、普通は4Mとか8Mだった。

  • デジカメの撮影枚数はフィルムに比べると3倍以上も多かったが、替えの電池やメディア代等を考えても、体感的に「フィルムに比べて圧倒的にたくさん撮れる!」という訳でもなかった。

ちなみに僕が旅行に持って行ったのは、98年発売のサンヨーのDSC-X100
動画が撮れる「動画デジカメ」シリーズ第二弾で、スペックを見た時から「これしかない!」と思い、予約までして買った初めてのデジカメなのだ。

では、1999年に戻ったつもりで写真を見ていこう!

これらは三枚の写真です

まずこれは何なのかと言うと、これは九州に向かう時に乗ったフェリーの煙突ですね。

造形が自分好みだったので撮ったのだが、船上のスペースの都合上、全体を一枚で収めるアングルがなかったため、仕方なく三枚に分けて撮った、というものです。

前述の通り、このような「煙突」をわざわざ写真三枚分も使って撮るという行為は、当時の人からすれば、例えそれがデジカメであったとしても「意味が分からない」行動です。


三枚を手動で合成
確かに格好いい!
撮っておいて良かった!


旅行のド頭でわざわざこういう写真を撮ってるところが、本当にイカれてると思います。


もやい綱

僕はフェリーに乗ると、このもやい綱のところを大体撮るんですけど、この時もやっぱり撮ってました。
なんかメカメカしくて格好いいんですよね。

続いて船内へと。

鯉のぼりと五月人形

僕が九州へ行ったのはちょうどゴールデンウィークだったので、船内に鯉のぼりと五月人形が飾ってあった。こういう風景をキチンと押さえているのは我ながらエライと思います。


エコノミー室のベッドと荷物
二段ベッドが4つの8人部屋
当時はとにかくF-1が大好きでした


船内での食事1(夕飯)


船内での食事2(朝食)


こうやって見るとフツーに見えるかも知れないが、わざわざ自分のベッドを撮ったり、ご飯を撮ったりするのは、当時としてはかなり特異な行動なんです。

今では食事前にご飯の写真を撮るのごく当たり前になっていますが、当時はそういった行動をする人は皆無でした。

なので僕は、スマホが普及し食事前の写真撮影が普通の行動になるまでの長い長い期間、ニヤニヤ顔で「なに撮ってるの?」、「こんなん撮ってなんの意味があんの?」、「撮ってどうすんの?」等、お決まりの質問をする人に対して「撮りたいから撮ってるだけや」と繰り返し繰り返し返答せねばならなかったのです。
おまけにそういった質問をしてくる輩は、僕が撮っている被写体の前にわざと手を出して(なぜか全員必ずピースサインでした)撮影の邪魔をするしてくるので、これは当時 本当に面倒で鬱陶しかったです。

ま、それはさておき。

擬宝珠(ぎぼし)


これはどこかの橋の擬宝珠ですね。
(追記:Google Street Viewをつぶさに見たところ、この擬宝珠は鶴丸城跡の御楼門のものだと判明しました。現在は新しい物に替えられてピカピカになってます)

擬宝珠は形が「気持ちいい」ので、今でも撮り続けていますが、これがデジカメで撮った最初の一枚のような気がします。


鎖です


えーと、鎖ですね。
これは、確かどこかの小さな港でした。

これはなにもアートを気取って撮った訳ではなくてですね、真ん中に棒が入ったこのタイプの鎖をそれまで見たことがなかったので、記念に撮っておいたんですね。
だからこれは、僕なりの記念写真なんです。


「愛のスコール」の自動販売機
僕はスコールが好きなのです!


桜島に向かうフェリーの中で発見した「愛のスコール」の自動販売機。
大阪でスコールが看板になっている自動販売機はほとんど見たことがなかったのと、このようにスコールがズラッと並んだディスプレイも始めてだったので感激して撮った写真。

この時すでに120円になってるのに今気が付いたが、これが観光地価格だったのか、一般的な価格だったのかは残念ながら分からない。


レモンガス


噂で「レモンガス」という謎のガス会社があるのを聞いていたので、これを見つけた時はえらく嬉しかった。営業所も見たかったが、この時は結局ボンベしか見つけられなかった。


しろくま


当時は「しろくま」というのが何なのか知らなくて、試しに頼んだらコレが出てきた、という訳。

今なら当たり前のように「映え」目的で撮るんでしょうが、何度も言うように当時はこういったモノをわざわざ写真に収めるという風習がなかったので、僕がカメラを出して写真を撮ると、店員さんは「なんじゃコイツ?」と「大阪の人は変わった事をするなぁ」の両方が入り混じったような複雑な表情を浮かべてこちらを見ていた。


回転寿司の看板


歴史を感じる格好いいお店の看板


あとは、鹿児島市内の商店街の気になった看板など。

とまあ、当時から今とほとんど変わらないスタイルで写真を撮っていました。
あまりにも同じ過ぎでビビるぐらいです。技術的にも内容的にも進歩が感じられませんし。

でもまあ「スタイル」というのはそういうもんでしょ、多分。

以下、補足でちょっと。

当時はデジカメからパソコンに画像を移動するのに専用の接続キット(別売り)が必要で、おまけにノートパソコンは高くてデカかったので、気軽に持ち歩いて旅行へでも、という心境にはならなかったです。

だから、デジカメと言えど今みたいになんでもかんでもバシャバシャ撮れる訳ではなく、フィルムカメラよりはたくさん撮れるけど、電池やメモリ残量を常に気にしながら使う、という感じでした。もちろん画質の面ではフィルムカメラに負けていたし。

この旅行の後、僕は「チェキ!」や普通のフィルムカメラに一旦回帰したので、DSC-X100自体はほとんど使われる事がなくなってしまいました。


キズひとつない奇跡的な状態で保管されているDSC-X100
レンズカバーを開けるだけですぐに撮影出来るところが最高でした


そのおかげと言うかなんと言うか、このDSC-X100は、なんと今でも新品同様の姿で我が家に保管されているのです。
スマートメディアさえあれば、きっと今でも使えるはずです。

使えるスマートメディアを探すのが大変ですけどね。

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