いろいろ話題になってますが……。
私は、当日、審査員を務めましたが、「ヤラセやのに」は真実です。https://t.co/oBNZhLMQtD https://t.co/G5IpTG4KBJ
— 交野市長 山本けい (@keiyamamoto0312) February 23, 2024
ここまで大々的に大会の「やらせ」「出来レース」を認めたのは初めての事ではないですかねえ。びっくりです。
この「やらせ」が真実なのかどうかはさておくとして、大小さまざまある漫才・お笑いの大会では、「出来レース疑惑」みたいなのはあるのはあります。
ただそれは、一般的によく話題にのぼるような「事務所の力関係がどうのこうのというようなドロドロとした疑惑」ではなく、ある種のほのぼのとした、それでいてお笑い愛好家や大会出演者からは「チッ!」という舌打ちが高らかに聞こえてきそうな、そういった種類の疑惑です。
この疑惑の渦中に登場するのは、靴までそろえた小学生のきょうだいコンビとか、女子中学生のピン芸とか、そんな感じの人達です。
こういった人達の演芸内容は予選会から見ていれば良く分かるのだが、他の人達と比べて特に優れた部分がある訳でなく、正直なところ申し訳ないが1mmも面白くない場合が多い。漫才という演芸形式においては、お互いに交互に喋るという部分で「たくさん練習したんだろうな」というのは目に見えて判るので、その部分の努力は評価出来るのかも知れないが、しかし、面白いかと問われれば「まったく面白くない」と答えるしかないような内容だったりする。
ところが、こういう人達はなぜか予選を勝ち上がり、颯爽と決勝戦に現れ、決勝の舞台で本人のご近所さんや親戚等の関係者をほのぼのとさせ、反面、事情を知らない一般観覧者の空気を冷え冷えにして、そして、大会に3つか4つしかない賞の一つを確実にもぎ取って帰る訳です。
せめてこの手の人達が、もっとマイナーで小規模なお笑い賞レースの常連であれば、「ああ、この人達なりに頑張ってるんだな」と納得出来るのだが、残念ながらこの手の人達が出てくる大会というのは、テレビ放映こそないが大会自体は協賛スポンサー数社がついている中規模程度以上のそこそこな大会だけだったりするので、この点で見ている側の気持ちの収まりがあまり良くなかったりするのです。
ただ、近頃はこういった「ごまめちゃん」を忖度なしに採点する大会も増えているようではあるが。
以前、ある大会のエントリー表にこの手のごまめちゃんが載っているのを目ざとく見つけた僕は「これで決勝のひと枠は決まったな~」と呑気に推察して会場へ向かった。しかし、予想に反して現地では、予選で落とされ会場の隅でぴっかぴかの衣装のままわんわんと泣くごまめちゃん達の姿があったのである。それを見て僕は「おお、審査員ガチやん」などと妙に関心したのを憶えている。
本人たちにしてみれば、今まで他の大会で何度も入賞、なんなら直前の大会でも入賞していたりするのだから、予選落ちの理由がまったく理解出来なかったのだろう。いやホント、残酷なものである。
ちょっと話はズレるが、M-1も二回戦突破がYahoo!ニュースになるような「話題性のある非お笑いプロ系のコンビ」に対しては一部のお笑いマニアから「はいはい、例のアレね」という嫌な空気感はあるのだが、M-1はそうしたコンビ(グループ)が三回戦でちゃんと落ちるという自浄作用があるので、話題作りの成功と「三回戦までこれた自分たちエライ!」という、見る側と演る側の双方に納得感があって、その辺上手いこといってるなと思います。
話の脱線ついでに言うと、M-1の闇という部分において、世間ではよく某巨大お笑い会社の漫才師が優勝するようになっているというような陰謀論が流れる場合があるが、実際の闇は、「領収書」だと僕は思ってます。
今はどうなのか知らないけれど、過去のM-1ではエントリーフィーに対して領収書を発行していませんでしたので。
エントリー数から総収入は判るし、その金額で大会を運営するのはどだい無理なのは判るから、エントリーフィーが実際にはお気持ち程度にしかなっていないのは十分理解出来るのだけど「領収書くれんとか、そんなんありか?」と当時は思いました。
まあとにかく、お笑いでも手品でも麻雀でも、大会というものは公平で楽しいものであって欲しいもんですね。
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