まずは、この2分ほどの動画を観てください。
相変わらず狙ってます、三色同刻を。
動画の中では五筒をツモって「5」の三色同刻狙いに決定したと書いてますが、これはまあ、いわゆる「分かりやすくするための嘘」です。実際には配牌の段階からもう狙ってます。僕が普段どうやって打ってるのか知ってる人には分かると思いますけど。
ただ、いくら本人が本気で狙っていたとしても、五筒が一枚もなければどうしようもなく、配牌の段階で「狙っている」と主張すると、見た人的には「結果論的な嘘」に見えてしまうのであのような表記になったのですね。どうでもいい事にいろいろ気を使ってます。
あと、途中サラッと流し気味に出てくる「テツロー式片手理牌(左手は添えるだけ)」ですけども、これはゆっくりした動作の中で正確に、そして牌が倒れたり乱れるリスクをなるべく低くして理牌が出来る方法なので、地味にオススメです。
計算機科学で言えば原始的なバブルソートやシェーカーソートを麻雀牌に適合するように改良した、という感じでしょうかね?説明だけ書くと大仰しいですが、実際は大して難しい事はしてません。
ただ文章で説明するのは非常に面倒くさく、だからと言って動画を撮って説明する程でもない、そんな感じの理牌方法です。
完全に話は脱線しますが、僕が若い時に計算機科学というモノに出会って、がっかりした事のひとつに「ソート(並び替え)」があります。コンピュータの事を深く知るまでは、とてつもなく効率的な「謎の」方法で並び替えをしてると思っていたので、結局、A・B 2つを値を延々と比べる作業を人間より圧倒的に早くやってると知った時には愕然としたものです。
分からない人向けに説明すると、人間はなにかの並び替えをする時に一旦全体を俯瞰して、どれが小さくてどれが大きいかの見当をつけて作業をしますが、コンピュータはそういった事は出来ないのです。「1」と「100」も直接比べてみるまでは、どちらが大きいか分からないんです。だから、アルゴリズムの全体的な効率の差こそあれ、毎回「1」と「100」をバカ正直に比べては「はい、100の方が大きいです!」と、こんな感じで2つの数字を比べる作業を何百回も何千回も何万回も何億回もずーっと延々とやってるんです。そしてそれが人間に比べると圧倒的に早くて正確なんです。
麻雀の配牌に戻って説明すると、人間は配牌を見た瞬間に大体なにがあるか解ります。一筒、三筒、七筒、九筒があれば、それが配牌の中でバラバラに配置されてあったとしても、わざわざ比べるまでもなく1,3,7,9と順番に並べられます。見落としや見間違いはあるかも知れないですけども。
ところがコンピュータ様は、直接2つの数字を比べないとどちらが大きいのか分からないので、いちいち一筒と三筒は一筒の方が小さい、三筒と七筒は三筒の方が小さいと順番に比べて、これまたいちいち並べ替えてからじゃないと1,3,7,9という最終的な正しい並びにはたどり着けないのです。その代わり(基本的には)見間違いや見落としがなく正確ですし、結果的に人間よりも超絶早いのです。
人間は麻雀の配牌を並び替えるというごく単純でバカバカしい作業に対してでも、人間的な一瞬で並列的に物事を考え、答えを導き出せる素晴らしい能力があるんですが、それはコンピュータのバカバカしい程の力技の前では本当に無力なのです。「人間的な一瞬」、それはコンピュータ様からすれば「永遠」に等しいぐらいの遠大な時の流れなのです。
ま、それは良いとして。
現実の麻雀では理牌の早い人も遅い人も、理牌の必要ない人もいます。しかし、配牌を取った後の親の第一打を「どのタイミングで始めるか」に関しては、明確なルールがないような気がします。「様子を見て」等、マナー的に扱ってるところがほとんどで。
これも本来は、ルールとして全員の理牌が終わってから親は第一打を捨てましょうと明文化しないといけないと思います。理牌が終わった人や理牌が必要ない人は手牌から手を離す、としておけば良いだけですし。簡単な話なんですけどね。
最後に一応、今回のこの動画の手に対してコメントしておきます。
対面に和了られて消えたこの三色同刻ですが、実は悩んだ場面がひとつあったんです。それをやっていれば、もしかすると和了れるチャンスを作れたかも知れない、そんな場面です。
それは、テンパイ後に下家が捨てた伍萬を大明槓すること。
これで嶺上牌に五筒があれば「三色同刻堂々完成!」なんだけども、しかし、そうでなかった場合は他家から五筒がこぼれるチャンスが激減すると思ったので、結局、声を飲んだのです。でも、今思えばこれは大明槓だったかも知れないですね。天鳳なら躊躇なく大明槓するんですけどね~。
大明槓していればどうなっていたのか?
天鳳みたいに後から牌譜が見れないのが残念です。
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