2026年5月2日土曜日

女流棋士の「終わりの始まり」になるのか?


なんとなくであるが、「女性+将棋」の気運を高めたいという気持ちが、どんどんと空回りというか空吹かしというか、悪い方向へ向かっている気がする。

特に今回のコレは、もしかしたら最悪手だったかもしれない。下手をすると女流棋士という制度の根本から考え直させる機会になるかもしれないぐらいのインパクトがある。

日本将棋連盟としては、最近の風潮に従う形で「男の世界ではない将棋界」、「女性にも開かれた将棋界」をアピールしたい面もあるのだろうが、女流棋士にいろんな特例をもりもり導入するのは、将来的にはかなりマズイはずである。

女流棋士と「プロ棋士」が制度的に完全に切り離された世界なら、女流棋士にどんなルールを適用しても構わないだろうが、編入試験で「女性棋士」が誕生する可能性がある以上、中途半端な特例は、のちのち遺恨を残すことになりかねない。

ただでさえ世間には「女流棋士」と「女性棋士」の違いが分からない人がたくさん居る上に、頭のイカれた平等主義者が制度の違いを理解した上で(知らないフリをしてでも)将棋界への攻撃材料に使ってくる未来が容易に想像できる。


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女流棋士に対するプロ編入試験も、これからきっと色々と問題が起こると思う。

プロ棋士という意味において、日本将棋連盟としては、なんとしても女性棋士を誕生させたい思惑もあるだろうから、女流棋士に対する編入試験のハードルは今後もズルズルと下がり続けると思う。しかし、そうやって誕生した女性棋士が、奨励会を突破してきたプロ棋士と本当に伍して戦えるのか、というのは将来絶対に問題になるだろう。

そして、奨励会で涙をのんだ男性にとっては、女流棋士自体がかなり不公平感の強い制度だと思うのだが、現代の「平等意識を当たり前に持っている」若い世代は、これからの女流棋士制度をうまく納得できるのだろうか?

個人的には女性棋士が誕生して欲しいという思いがある。編入試験であったとしても、最初の一人が誕生するのには大きな意味がある。

ただその前に女流棋士自体が嫌われ者であったり、目の上のタンコブ、腫れ物に触るような存在になっては意味がないのだ。

女性棋士が誕生しないのを男女問題と絡めても揉めるだけで意味がない。

プロ棋士になれるかどうかは、実力だけの問題にしてもらいたい。

以前、女流棋士のプロ棋士編入試験の条件改定にあたって藤井竜王・名人が発した「棋力の担保は取れているのでしょうか」という言葉は、とてつもなく重いし、若い世代の鋭敏な平等意識が現れている。

ここに危機感がないと、将棋界は数年間荒れると思います。

願わくば奨励会から女性棋士が誕生せんことを。

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