2026年5月21日木曜日

「『打者一巡』はどこから」問題


 面白い話題ですね。わざわざ日経の校閲がこれをポストするのは、やはりちょっと重みが違うような気がしますしね。

個人的には「打者一巡」に必要な人数は9人だと思います。ただ「打者が一巡しました」と言うのは大体が10人目の場面なので、そこが問題をややこしくしているのだと思います。

つまり「一巡目の終了」と「二巡目の開始」がぴったり重なっているところが、問題の根源なのだと思います。

この「一巡」という状態が9人目と10人目でどのような違いがあるのか、すこし順番に考えてみましょう。

  • 9人目が打席に入る
    一巡目であるが打席が完了していないので「一巡しました」とは言えない。「一巡目最後のバッターです」とは言えるがほとんど言わない。「一巡するか?」とは言えるし、実際に言うアナウンサーも多い

  • 9人目の打者が塁に出るかアウトになって打席が完了する
    一巡目が完全に完了する。この時点で「打者が一巡しました」と言っても嘘ではない。実際に9人目がヒットを打った時点で「打者一巡!」と言うアナウンサーも居る

  • 10人目が打席に入る
    二巡目の開始。「打者が一巡しました」と言っても嘘ではないし、ビジュアル的にも打者が一周りしたのが非常に解りやすい


アナログ時計だと時間の開始である「12」に針が戻らないと一巡したことにならないから、一巡目の終わりと二巡目の開始はぴったり同じになる。だから解りにくいですが、野球だと、9人目の打者と10人目の打者の間には「ボールデッド」があるので、まだ理解しやすいと思います。

このボールデッドになった瞬間こそ「打者が一巡した」瞬間な訳ですよ。

つまり、「打者一巡」に必要なのは9人の打者の「打席の完了」であり、10人目からは二巡目の開始だから、「打者が一巡しました」と過去形を使って表現しても嘘ではない、という事だと思います。

これが正しい日本語の解釈なのかどうかは、僕は知りませんけどね〜。


2026年5月4日月曜日

スペイン語の慣用句?

 (※ 上にある元ポストが原文で表示されている人は、下のスクリーンショットを見て下さい)


 「急げ、警察を呼べ!誰かがチ◯ポを出しながら運転しているぞ」

これは一体どういう翻訳だね Grok くん?

朝から過剰なセクハラは辞めていただきたいものだ。


一応、Google 翻訳でも意味を調べてみよう。


「早く、警察を呼んで!誰かがペ◯スを運転してる!」

いや、あのね……。

なんやねん、スペイン語……。


なんとなく映像を見る限り、日本語で言うところの「ゴボウ抜き」みたいな表現なのかなとは思うけど。

本当にこんな慣用句があるのか?

それともポスト主が勢い余って創作したのか?

謎は深まるばかりです。


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2026年5月3日日曜日

伊藤ゆう子裁判官の場合

最近、裁判官に対する話題やニュースが多くて、アタクシの忙しい日々ではそういったモノを全然追いきれずにいます。

裁判官に対する話題が多くなる、あるいは多くなった様な気がするのも「裁判官マップ」の影響でしょうかね?

裁判官以外の事も書きたいんだけども……。

今回はたまたま見つけた不可解な話に対する記事なので、「『裁判官マップ』における裁判官の評判」という本筋とは関係のない話になっています。

伊藤ゆう子裁判官はいわゆる「新宿タワマン(滅多刺し)殺人」の一審裁判長として担当した方なのですが、この方の「裁判官マップ」の口コミがなにか妙です。

2026年5月現在

なんとなく薄っすら「同一人物が書いてるのかな?」と思わせるような3件の「五つ星」の書き込み以外、なにもありません。

これらの書き込み以前になにか強烈な誹謗中傷や個人情報の暴露があって、それが削除されたのかも知れませんが、「裁判官マップ」の削除プロトコルはかなり厳しいので、個人的には違うような気もします。見てなかったので確証はありませんが、他の裁判官の口コミを見ても削除に至る道程はかなり厳しそうです。

ちなみに「新宿タワマン殺人」の一審判決自体は2025年7月14日で、話題として少し古いですし、それ以降に伊藤ゆう子裁判官が話題になったような裁判もありません。

なので、なにか不思議で不可解な口コミだな、という感想です。

今後、この口コミがどのように変化していくのか、推移を見守りたいと思います。


「新宿タワマン殺人」の参考サイト:

産経新聞:明かされた「疑似恋愛」の袋小路 愛車売却、借金重ねた末の暴発

時事ドットコム:裁判員「難しい」「葛藤した」 判決後に会見―新宿タワマン女性刺殺



2026年5月2日土曜日

女流棋士の「終わりの始まり」になるのではないのか?


なんとなくであるが、「女性+将棋」の気運を高めたいという気持ちが、どんどんと空回りというか空吹かしというか、悪い方向へ向かっている気がする。

特に今回のコレは、もしかしたら最悪手だったかもしれない。下手をすると女流棋士という制度の根本から考え直させる機会になるかもしれないぐらいのインパクトがある。

日本将棋連盟としては、最近の風潮に従う形で「男の世界ではない将棋界」、「女性にも開かれた将棋界」をアピールしたい面もあるのだろうが、女流棋士にいろんな特例をもりもり導入するのは、将来的にはかなりマズイはずである。

女流棋士と「プロ棋士」が制度的に完全に切り離された世界なら、女流棋士にどんなルールを適用しても構わないだろうが、編入試験で「女性棋士」が誕生する可能性がある以上、中途半端な特例は、のちのち遺恨を残すことになりかねない。

ただでさえ世間には「女流棋士」と「女性棋士」の違いが分からない人がたくさん居る上に、頭のイカれた平等主義者が制度の違いを理解した上で(知らないフリをしてでも)将棋界への攻撃材料に使ってくる未来が容易に想像できる。


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女流棋士に対するプロ編入試験も、これからきっと色々と問題が起こると思う。

プロ棋士という意味において、日本将棋連盟としては、なんとしても女性棋士を誕生させたい思惑もあるだろうから、女流棋士に対する編入試験のハードルは今後もズルズルと下がり続けると思う。しかし、そうやって誕生した女性棋士が、奨励会を突破してきたプロ棋士と本当に伍して戦えるのか、というのは将来絶対に問題になるだろう。

そして、奨励会で涙をのんだ男性にとっては、女流棋士自体がかなり不公平感の強い制度だと思うのだが、現代の「平等意識を当たり前に持っている」若い世代は、これからの女流棋士制度をうまく納得できるのだろうか?

個人的には女性棋士が誕生して欲しいという思いがある。編入試験であったとしても、最初の一人が誕生するのには大きな意味がある。

ただその前に女流棋士自体が嫌われ者であったり、目の上のタンコブ、腫れ物に触るような存在になっては意味がないのだ。

女性棋士が誕生しないのを男女問題と絡めても揉めるだけで意味がない。

プロ棋士になれるかどうかは、実力だけの問題にしてもらいたい。

以前、女流棋士のプロ棋士編入試験の条件改定にあたって藤井竜王・名人が発した「棋力の担保は取れているのでしょうか」という言葉は、とてつもなく重いし、若い世代の鋭敏な平等意識が現れている。

ここに危機感がないと、将棋界は数年間荒れると思います。

願わくば奨励会から女性棋士が誕生せんことを。