2011年7月31日日曜日

今月の一枚

「鬼畜米英語 IIc」
アタクシはビンボー症というのもあって、さかのぼること小学1年生からの全ての学科の自筆ノートと教科書、そしてプリント類を保存している。いや、正確には保存していた。
5カ年にわたる「家の不用品捨てましょう計画」によって、この個人的に貴重な、あるいは学教教育の歴史を辿る時にも非常に有用な、さらに言うなれば1000年後の人々にとっては素晴らしい文化的価値のあるこれらの品々を、アタクシはとうとう棄て去ってしまったのである。

サヤウナラ、僕ノ ノート。
サヤウナラ、僕ノ 教科書。
サヤウナラ、先生手描キノ ザラ版紙。

ちなみに、ノートや教科書、プリント類をとってあるからといって、時々見返すわけではない。ただ単に「自分が字を書いた紙が捨てられない」という変な病気に罹っているだけなのだ。だから、未だに初期のファミコンのパスワードやヒント、ちょっとしたメモ書きなんかが、大量に保管されている。まるでアインシュタイン・アーカイブのようだが、そのほとんどが人類の知性に対して貢献できる内容ではなく、単なる紙くずなのが憎いところだ。

まあ、そんな訳で大量のノートや教科書を処分し、居住スペースへと転換させた訳だ。本人としては断腸の思いであったが、周りから見れば「捨てるのが遅い」ぐらいの事だったでしょうね。でも、1000年後の未来人には申し訳ないことをしたと思う。スマン、未来人。

さて。

上の写真は、中学~高校までのノートの一部。
英語IIcってのがどんな授業だったのか全然思い出せないが、この「鬼畜米英語IIc」と書いたノートを提出した日、先生に職員室へ呼び出され、ノートを前に

「これはどういう意味?」

とかなりキツク詰問されたのを憶えている。
僕にとって、学教教育における英語の最大トピックスは、この思い出なのだ。


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2011年7月30日土曜日

文と武と関羽の関係

写真語り(13) 香港 2004年

「文武廟」
再び香港強制バスツアーからのひとこま。
ここはガイドさん曰く「香港で一番古いお寺。一番親しまれてる。みんな知ってる」そんな所らしい。実際の現場は、背後に高層マンションが覆い被さるかのごとく建っているので、見た目の「古今東西新旧建物組み合わせ」具合がなかなか壮絶である。

個人的には、このお寺の前にある通りが「Hollywood Road(荷李活道)」という名前だったのが妙に面白かった。何故ハリウッドなのかは知らないが、込み入った坂道の多い場所だったのを憶えている。

「巨大巻き巻き線香の密集地帯」
お寺自体はとても小さく、内部の装飾も控えめで照明も薄暗い。目に付く物の90%は線香で、中華系の寺院にありがちな「赤、黄色そして金ピカ」波状攻撃も目立たない、地味系のお寺だった。
そういった意味では目に優しいお寺であるかも知れないが、狭い空間にこれでもかとばかりに大量の線香を焚いているので、気管および肺に対しては全然優しくない寺であるとも言える。

ガイドさんおよびお寺の説明によると、ここは「文(Man)」と「武(Mo)」の二人の神様を祀っていて(寺じゃないやんか…)、そしてついでに関羽も祀っていて、文による知力、武による壮健、そして関羽による商売繁盛のご利益がある、との事だった。なぜ、あの三国志の英雄関羽が商売繁盛を司っているのかは全然説明がなかったが、まあ、長い年月のうちに由来不明の事象がある個人(故人)に発生することなんて良くある事だなと、なんとなく納得しながら聞いていた(聞いたままを書いてるのでこの説明が本当かどうかは知りませんが)。

お寺のお参りの後、この付近の路地をみんなでうろうろしたのだが、この付近には、中華風アンティーク家具だとか、中華風装飾具だとか、中華風映画ポスターだとか、主に頭に「中華風」の修飾語がつく物がたくさん売ってあった。
出来ればこの中華風のモノ売りストリートをじっくり歩いてみたかったのだが、ツアーバスはこの辺りの商店とは提携してないので、わりと早足で通り過ぎ、次の現場へと運ばれていくのだった。


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2011年7月29日金曜日

九龍公園

写真語り(12) 香港 2004年

「九龍公園」
我々のツアーが泊まった佐敦(じょうだん)から、ちょいとぶらぶら歩くと尖沙咀(ちむさーちょい)という超オッシャレーな街に出るのだが、その途中にものすごく巨大な公園があった。商業地区にこの規模の公園を整備するのは資金面で相当大変だろうなと下世話な心配をしてしまう程、立派な公園だった。

それが九龍公園。

写真は、エントランス部分を公園内部から撮ったもので、ここだけ見るとずいぶん無機質な公園に思えるが、この背後はプールを挟んで森のように樹木が覆い茂っている。大阪の人に判りやすく説明すると、梅田の中心部にいきなり服部緑地が現れたような、そんな感じです(大阪以外の人は適当に感じ取って下さい)。

「プールだってあるぜい!」
温帯に属する香港は9月末でもとても蒸し暑い。このプールを見た時、海パンを持ってきてたら良かったと、ちょっと後悔した(この時は髪も短かったし、気兼ねなく泳げた)。

公園の奥には「森の散歩道、植木の迷路、その他芸術的な彫刻」があるとの事だったが、あまりにも広すぎて、ここを見てると他が回れなくなりそうなので、チラ見だけして引き返した。
まあ、とにかく大きな公園でした。

ところでこの九龍公園を、あの九龍城(九龍城砦/九龍寨城)の跡地を再開発した公園(九龍寨城公園)と勘違いしている人が居て、その人の話しぶりが個人的にはツボだった。
軽く説明しておくと、九龍公園と九龍寨城公園とは、「九龍」の文字以外、特に共通点はなく、成り立ちも場所も全然違う。紛らわしいかも知れないが感覚的には「淡路島」と「淡路駅」ぐらい違う。行ったことのない人には確かに判りにくいが、でも一度でも現地に行けばきちんと理解できる。要するに全然違う「別物」なのだ。

"九龍寨城公園(A)と九龍公園(B)の位置関係"

だから、自称「香港で何度も遊んだ」人が、遠い目をして

「九龍城のあった頃の香港はこんなもんじゃなかったな」
「やっぱり九龍城見てないとな」
「九龍城見られへんのは可哀想やな」

と言いながらも、九龍公園と九龍寨城公園の違いを理解していなかったりすると

「ははーん、コイツ九龍城見たことないな?」

と一発でバレてしまうのです。
下手な嘘は、笑えないから困りますよね、ホント。


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2011年7月25日月曜日

雲呑麺への想い

写真語り(11) 香港 2004年

「雲呑麺とビール」
香港に行ったら絶対食べてやろうと思っていたのが雲呑麺(ワンタンメン)だ。私が最初に憶えた広東語も「スープ雲呑麺を下さい(要雲呑湯麺)」だった。

「なぜ雲呑麺なのか?」というと、香港に行くちょっと前にカナダへ遊びに行ってたのだが、そこで友達が薦めてくれて食べた雲呑麺がとにかく美味しく、ハマりにハマったのだ。
聞けば、1999年の香港返還前に香港から大量の移民がやってきて、中華/香港系のお店をオープンするというのが流行ったらしい。僕が食べたのも、そういった香港系移民の方のやってるお店だった。
お店の人曰く

「香港のお金持ちはみんな海外に移住して、そしてお抱えの料理人も一緒に連れていった。だから今、香港に本当に美味しい物(レストラン)はないんだ」

「ふーん。だからここの雲呑麺も美味しいん?」

「(大笑いして)そうそう。ありがとう。でも雲呑麺は下町の味だよ」

とのこと。

興味があったので「麺はどうしてるの?」と訊いてみると「香港から仕入れてる」との答え。

なるほど。
となるとやはり本家本元の香港で雲呑麺を食べねばなるまい。
それが私が香港で絶対に雲呑麺を食べようと決意した瞬間だった。

そして、その固い決意を胸に秘め、数ヶ月の後に本場香港で最初に食べた雲呑麺は、若干の麺の歯ごたえの無さはあったものの、とても美味しかった。
店の構え、作り、オヤジのぶっきらぼうさも、最高に良かった。

下町の味は決して滅びない。
むしろ逆境にあってこそ、味を良くするのだ。
(ただし体に悪い成分が基準値以上に含まれる場合があります - WHO -)

そんな訳で雲呑麺、いまだにハマり続けてます。


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2011年7月22日金曜日

豆乳ジャーニーの始まり

写真語り(10) 香港 2004年

「豆漿とかいう飲み物」
海外に行ったら、大体好奇心に任せて現地のよく解らないものを摂取している。
普段の日本での安寧とした生活でも頻繁に下痢を繰り返す私としては、これはかなりのバクチとなるはずだが、不思議と今まで腹痛でのたうち回ったことはない。ラッキーなのか体質なのかは知らないが、まあ、ありがたい話だ。

上の写真は、レストランで頼んだ「豆漿」とかいう飲み物。日本で言う所の豆乳のようだった。

このレストラン、新装開店したばかりでなんとビールサーバがなかった。支配人が各テーブルを回ってお詫びし「ビールであれば近くのコンビニで買ってきて持ち込んでもらってもOKです」と言っていた。
それと同時にビール以外の飲み物も薦めていて、そこでやたらと推されたのがこの豆漿なのである。

一緒に行った現地人は豆漿を、「わざわざレストランで飲むようなもんじゃなくて、どこにでもあるしょうもない物」と説明してくれた。なるほど、そうなると即注文だな。
僕が豆漿を一杯注文すると、香港人は意外そうな顔をして、服をつんつんと引っ張り「ビールを飲もうよ」とジェスチャーしたが、正直、キリンビールの方がいつでも飲める飲み物なのだよ、香港人。判ってくれ。

実は、僕はこの時まで豆乳を飲んだことがなかったので、この豆漿の独特の青くさい味は、少々応えたのだが、それでも新しい味に出会えた事に満足してレストランを出た。

この後、アジア各国には豆漿と同じように「豆ベースの飲み物」が沢山ある事を知り、行く先々でこの「豆乳ライク・ビバレッジ」を飲み回ることになる。

つまりこの日が私の「豆乳ジャーニー」の始まりの日だったのだ。

でも、全然格好良くないけどな、豆乳ジャーニーって。


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2011年7月18日月曜日

本日のラジオ

本日17日も、FM KOBE MOOVの「巷・麻美の絶対安全日」に緊急ゲスト枠で参加させてもらいました。一ヶ月ぶりです。もっと呼んでくれよ。

土砂降りのため家を出て行くタイミングを見計らっていたのに、三宮では全然雨が降ってないというどんでん返し。台風6号は、なかなかあなどれない性格をしてる。今後も要注意な存在だ。

さらに「ビーチサンダルの場合、どのような足さばきをすれば一番水跳ねが少ないか?」という命題を真剣に考えながら歩いていたら、偶然仕事先のスタッフに発見され、

「ぼんやりだらだら歩いてる(ように見えた)」

と言われる始末。
やはり真剣に考え事をする場合は、顎に手を当てながらの方が良いみたいだ。対外的に。

ラジオはいつも通り。
前半やや低いテンションだったような気もするが、後半のゅりこのとんでもないタイトル間違いで全てひっくり返したかなと、そんな感じ。
しかし、「ゾンビ」って結構いろんな人が観てる映画なのね。意外です。

放送後は河合くんと前回行った中華料理屋へ。ちなみに店の名前は「楽園」でした。
前と違うものを頼んでみたが、こいつも美味かった。
今度はセットじゃなく、単品も頼んでみようかな?

ま、そんなラジオの夜でした。


2011年の活動カウンター
(49 + 3 = 52 ステージ) と (15 + 1 = 16 ラジオ)


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第1回NPMウェスタン・カップ

最近、ネット以外では誰も私と麻雀を打ってくれないので、しかたなく近場の大会に参加してみた。大会に出るのは実に久しぶりだ。
大会は、プロアマ混合の「第1回NPMウェスタン・カップ」というやつで、特に第1回という部分に心惹かれてエントリーした。

あまりなにも考えないで参加したこの大会、予選だけで二日、そしてその予選にそれぞれ64名が参加なので、のべ128人による大会だったのだ。おいおい、今まで出た中で一番デカい大会だよ。えらいこっちゃ。
予選は5半荘打って上位16位までに入った人が決勝大会にエントリーできるというシステム。二日間ある予選は、一次/二次という勝ち上がりではなく同レベルの予選なので、初回で17位以下だった人は、エントリーフィーさえ払えば二日目に再エントリーできるという「M-1形式」の予選だった。

私は二日目の予選(2)に参加。スタッフの持ってるエントリーシートをチラ見したところ、一番最後にエントリーしたのが自分のようだった。

そしてその予選(2)だが、まあ、結果から言えば「1-4-1-4-3」の△4.5ptで予選通過ならず。最終5回戦では、計算上トップ条件で予選通過だったのに、1,2位に点数的にも体勢的にもブッチギリに引き離されてしまい、ラスト3局は「ただ牌を取り、そして安全牌を捨てるだけ」のやるせない「麻雀無常」を味わった。これはラス引くより辛かった。

まあ、久しぶりに直接牌を握って麻雀を打てたので、それはそれで嬉しかったんだけど、心配してたとおり「ポン」の声を何度か飲んでしまい、さらに誤ポンをしてしまい、そして点棒の受け渡しでまごまごしてしまった。
ネットでばかり麻雀を打ってると、ポンや点棒の受け渡しがどんどん苦手になる。「9600点+5本場」の暗算が咄嗟に出来なかったり、「2900点+1本場」で「3100!」と堂々申告してしまったり、恥ずかしくて死にそうだった。小学生レベルの算数やのに…。アホですわ、アホ。
いずれリアルの麻雀でも点棒の受け渡しはなくなると思うけど、それまでは点棒の扱いでごにょごにょしそうだ…。あ~、やだやだ。

とりあえず、今回同卓した方々、どうもでした。
またどこかで会ったら、そん時は声かけてください。

では、ネット麻雀に戻ります。



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2011年7月15日金曜日

テツローの等式

数式には、数学に疎いものでもはっとさせられるある種の美しさが潜んでいる。

有名なところでは、

オイラーの等式:

e + 1 = 0

円周率、自然対数、虚数単位、そして「1」と「0」が式の中に現れるというある種の奇跡。数学上最も美しい等式とされている。


あるいは、アインシュタインの超有名な式


質量とエネルギーの等価性を現す式:


E = mc2

中学生にも判るような単純明快な姿に加えて、「エネルギーというのは、質量と光速度の二乗を掛けあわせた物なんだ」という、判ったような判らないような説明によって、まるで宇宙全体の秘密をその手に握ったかのような気分にさせてくれる式。
一説によると「世界で一番有名な公式」なのだそうな。さもありなん。


そして、この夏。
私、テツローが発見した、心震える美しい式。


夏を乗り切るテツローの等式:

(ガリガリ君 × 4本)+(ガツンとみかん × 2本) = 500円


このピッタリ感の美しさは、実際にレジで試みた人のみ体験できます。






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なるほど・ザ・ワールド的占いの聖地

写真語り(9) 香港 2004年

「黄大仙で魅惑の占い体験」
香港強制バスツアーで、「黄大仙」という占いで有名なお寺に行った。「お寺」と書いたが、どうも向こうの建物は一見してお寺さんなのか神社なのかいまいち判別がつかないので、本当に寺だったのかどうかは不明だ。もしかすると神社かも知れない。

大体において「占い」という単語自体がカミサマ系の言葉のように思える。仏教はなんとなく自身を律して「最終的には自己判断で善の道へGO!」という感じだが、カミサマ系は「神の啓示によって突如目覚める人類への愛」みたいな自分ではない誰かの声で行動する、そんな印象。

まあ、それはさておき。

昔見たテレビ番組「なるほどザワールド」で、「陰陽図を半分にちぎったみたいな二枚貝状の木片を投げ、それが地面に転がった様で結果を観る」という香港独特の占いを紹介していた回があった。占いの手順がちょっと面白かったのでやたらと記憶に残ってるのだが、その時番組で見たのと同じ光景が、この黄大仙で繰り広げられていた。

「なるほど。あの占いはここでロケされたのか…」

と、一人感慨深げにしていると、黄大仙の説明に熱弁をふるっていたガイドさんから「この日本人は寺社仏閣占い等々に相当興味があるんだな」とあらぬ方向に勘違いされ、マンツーマンで説明を受けるという展開になってしまった。
で、例の「陰陽図を(略)」占いをやってみますかと勧められたのだが、やり方が複雑怪奇な上、線香の灰が覆っている境内に跪いて拝まないといけないようなので、今後の膝の健康の事を考えて丁重に下手くそな広東語でお断りした。

それならばということで、境内に併設された「バームクーヘンを六等分にしたみたいな形の占いセンター」で、占いをしてみましょうという事になり、日本語の達者な占い師さんを紹介してもらった。
「占いセンター内部」
占い師さん、確かに日本語は達者でしたが、あのまあ、なんというか、その、ちょっとアレでしたね。悪く言いたくないけども。

でもあたしゃ、この黄大仙、素晴らしいと思ったんですよ。占いとか建築様式とか関係無く。

このお寺の横には、お寺と変わらないぐらい立派な「薬局」が建っているんだが、その薬局の運営はこのお寺にされた寄付・寄進でのみなされている。つまり患者さんは無料で薬をもらえるという事なのだそうな。
占いと薬という、一見相反するに思える事象を見事一本化し、そして現実に運営してしまえるその手腕。素晴らしいと思います。

誰か日本でもやればいいと思います。
タダで薬が欲しいだけのアホがいっぱい来ると思うけど…。


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2011年7月12日火曜日

歩行者が注意するべし

写真語り(8) 香港 2004年

「歩行者が注意せよ」
見にくく判りにくい写真であることは重々承知の上なので、説明を書く。

上の道路標識が掲げられている場所、それは道路上ではなく、横断歩道の上なのだ。つまりこの標識は車に対して「人に注意せよ」ではなく、人に対して「車に注意せよ」と呼びかけているのである。

現地のガイドさんが云うには、「香港は車第一(主義)なので、(歩行者信号が)赤の時は跳ねられます」、「(道路上に人が居ても)車は絶対に停まりません」という事なのだそうな(ホンマかいな!?)。
なのでガイドさんに何度も何度も「道路は横断しないでください」、「絶対に信号守ってください」と言われた。

日本では、横断歩道では100%歩行者優先となる。歩行者が赤信号で飛び出して事故があっても、横断歩道上であれば車の方に過失割合が大きくとられる。それはなぜかと言うと、青信号は「進め」という命令ではなく、「状況によっては進んでも良い」という許可にしか過ぎないからだ。これは交通弱者である歩行者を守るという意味が込められている。

ところが香港ではさにあらずで、赤信号に歩行者が飛び出した場合、保険も下りないのだそうな(ガイドさんが云ってたんですよ!)。つまり、信号絶対主義なのだ。信号を守らない奴は轢かれても仕方ないのだ(ガイドさんが云ってたんですってば!)。

信号というルールを前提にするならば、香港式はまことに合理的だが…。

とりあえず、郷に入れば郷に従え。この時は、僕も赤信号は渡りませんでした。

「香港に行けば、赤信号を渡るな」である。

これから香港に行く人は、気をつけてください。
ただし、これらの話が本当なのかどうかは確認出来てませんけどね。


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2011年7月11日月曜日

ジャムコント

7月10日は、道頓堀中座くいだおれビル地下一階 Studio ZAZAで「ジャムコント」でした。超炎天下のなかでなんと5回公演を敢行しました。ま、あたしゃ、5回のうち3回しか出てませんけどね。

詳しい内容は公式ブログに任せるとして、今回も個人的な感想をば。

今回は、役者チームの参加人数が半端なかったので、全体を4チームに分けての「90秒一発勝負のトーナメント形式」もやったりした。で、私リーダー・テツロー率いる「チームB:ゲタとボイン」は、見事優勝をかっさらいました。どーも、どーも。

でも、舞台上でMCの上田ダイゴさんに指摘されたのだが、僕の言ったセリフ「ジャミラは水に弱いんだ!」が、実は役者陣にも観客席にも全く真意が伝わってなかったみたいです。
同じチームの潮美華に至っては、「ジャミラ」を「フランス辺りの妖怪の名前」と思ったということだったので、ホント、ジェネレーションギャップって恐ろしいですね。
まあ、僕もジャミラを出してくるなよって話なんでしょうけど、ジャミラって「音」でも面白いから、全然OKだと思ったんですよ。一応、結果オーライやったし。ね?

全体的に見れば、相変わらず芸人チームは、役者チームに引っ張られて舞台をやってる感じだったが、その中でも一人、月見峠・大村だけは役者相手に卑怯なまでの牽引力を見せていたように思う。ま、本当に卑怯な場面も多いんだけど、それでもアッパレな奴だ。
あと、役者チームは初めて会った人達でも、コンビネーションの分担が上手くいってるのが凄いと思った。恐ろしい人達だ、まったく。

今回も仕事の都合で4回目の公演の途中で舞台を辞したのだが、よく考えると、炎天下の中呼びこみをし、舞台に3回出て、その後仕事に行くなど、1年前からは考えられないぐらいの「舞台体力」がついてるように思える。
一年前は「ジャムコント」が終わると、へとへとにくたびれて、家に帰ってそのまま朝まで寝てしまうというパターンだったのに。
そういう部分では地味に進歩してるかなと、ちょっとだけ実感した。

まあ、そんな舞台でした。

2011年の活動カウンター
(49 + 3 = 52 ステージ) と (14 + 1 = 15 ラジオ)





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2011年7月9日土曜日

消火栓に見る香港人気質

写真語り(7) 香港 2004年

「火事以外でも活躍中」
ナイトマーケットをぶらぶらしてる時に見つけた消火栓。

お上公認なのか住人の勝手な改造なのか知らないが、蛇口が追加されている。そして、皆ここで手を洗ったり果物を洗ったりしていた(私も手を洗わせてもらいました)。

この「蛇口つき消火栓」は自分が見歩いた範囲には一基しかなかった。香港だけじゃなく、今まで行った国すべてを合わせても、この一基しか見たことがない。

やはり住人による改造なのだろうか?
そうだとすると、かなりスキルの要る改造だと思うのだが…。

なんとなく香港人の「たくましさ」や「したたかさ」が見える消火栓。

カッコ良し!



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2011年7月8日金曜日

謎のデバイス

写真語り(6) 香港 2004年

「謎のデバイス」
香港で見た謎のデバイス。別名「びっくり顔の装置」(命名:テツロー)。

これが何なのか判らないが、交差点にあったのできっと歩行者補助関係のボタンなんだと思う。そしてコレ、よく見るとシーメンスが造ってる。個人的には、シーメンスって電車関係のデカいモノと補聴器のイメージしかなかったから、これを見た時は「おお、珍しいな」と思った。

ところで、日本において横断歩道の音響装置付信号機のメジャーな音といえば、「とおりゃんせ」や「かっこーの鳴き声(みたいなの)」であるが、この時の香港では、「なんらかの突起物を持つ回転体に薄い板状の物が激しく擦りつけられる音」であった。
なので、歩行者側の信号が青になると交差点全体に

「カラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラカラ~」

と乾いた音が矢継ぎ早に鳴り響き、非常にやかましかったのを憶えている。

それにしても、このデバイス、一体何なんでしょうかね?

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2011年7月7日木曜日

夜の香港

写真語り(5) 香港 2004年

今回は、ナイトマーケット以外の夜の香港を、香港の人が楽しんでいる場面を中心にして集めてみた。
「3 on 3 やってます」
晩ご飯を食べた後、ホテル周辺をぶらぶらしてると、若いお兄ちゃんらが3 on 3をやっていた。少し薄暗いとは言え、ナイター設備のある立派なコートだった。
Google Mapによると、このコートは2011年の今も現存するようだ。

「キャロムに興じる人々」
公園に人だかりが出来ていたので見に行ってみると、キャロムをやっていた。
プレイヤーの真剣な目付きや周りの雰囲気からして、おそらく賭けキャロムだと思われる。いや、知らんけどね。

「生演奏カラオケ」
青空(夜ですが)カラオケを発見。しかも生演奏。楽器の音とジェネレーターの音で大変やかましい。
どんな歌を歌ってるのかなと思ってじっと見てると、観客(?)のおばちゃんから「歌っていけ」と手をひっぱられた。
「じゃあ、一発 ”Sad-Eyed Lady of the Lowlands" 歌いますわ!」とは言えないので、丁重に下手くそな広東語でお断りした。

しかし、香港の人、楽しそうですな。
次行くときは、みんなの遊びに混ざってみたいもんだ。

そんな事を思い起こさせる写真。


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2011年7月6日水曜日

香港のトイレ事情

写真語り(4) 香港 2004年

「狭い…」
香港は土地がない。
なので、空間がとても貴重。東京や大阪以上に土地の有効活用をシビアに考えている。ほとんどの雑居ビル(?)でビル間の隙間はなく、壁を共有する形で建設されている。
アパートなどの戸数も絶対数が全然足りてないそうで、とにかく家賃が高いという事だった。

「今のうちに香港でマンション買っておくと10年後にお得ですよ」とは、ガイドの弁。
そらそうかも知らんが、元手がないちゅうの。

ま、それはさておき。

そんな訳で香港のトイレ(男子のしか知らんが)は、小便器のクリアランスが狭い。ちょっと太った人が隣に来ると、確実に腕が接触するぐらい近い。便器の数を減らして左右の空間を確保するよりも、最小面積に最大個数を配置するという考え方のようだ。

さらにその考えを推し進めると、以下のようなアグレッシヴな配置まで生み出される。
「便器+洗面台のアグレッシヴ配列」
この配置では、最小歩数による手洗いの実現までも達成している。アグレッシヴかつプログレッシヴだ。

しかし、これをプログレッシヴと呼ぶ延長線上にあるような未来へは、僕は行きたくないです。個人的に。

そんな事を思い起こさせる写真。


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2011年7月5日火曜日

見回せば香港

写真語り(3) 香港 2004年

香港の良いところは、360度どこを見ても「ザ・香港」な風景。ビルや車、地面に到るまで異国情緒、というか香港らしさ満載なのである。

「足場が竹」
街を見てると

「もしかしたら、ガードマンに扮したマイケル・ホイ(声:広川太一郎)がそこらのデパートに居るんじゃないか?」

とか、

「二階建てバスの後ろに、傘でぶら下がってるジャッキー・チェン(声:石丸博也)が見つかるのではないか?」

とか本気で思えます。

「漢字のネオンが美しい」
特に夜ともなればご覧のとおり、200万画素のオモチャのようなデジカメでテキトーに撮ってもこんな美しい香港が撮れるのだ。

また行きたいな香港。
ワンタンメン食べに…。

そして、次行く時は、もうちょっとマシなカメラも持って行こう。

そんな事を思い起こさせる写真。


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2011年7月4日月曜日

恋する惑星

写真語り(2) 香港 2004年

「これはもしや?」
2004年の9月22日から9月27日まで、香港経由で中国のシンセンへ行ったので、その時の写真から。

香港に行ったと言ってもたかだか一泊二日だけで、おまけに団体ツアー扱いだったのでほとんど自由行動が出来なかった。この写真も観光ツアーの一環で、旅行会社の息のかかった(?)販売店巡りのため、バスで移動している合間に撮ったものだ。

バスから降りて「はい、こっちですよ~」の旗印の下、てくてく歩いていると、なにやら見たことのあるような光景が…。

「あ~!これ『恋する惑星』のエスカレーターの場面に似てる!」

一人興奮する私であったが、この話に周りの誰もがついてこないという悲劇。
そして、立ち止まることが許されない「団体ツアー強行軍」において、唯一の抵抗は写真を撮ることのみ。誰とも感動も興奮も共有できないまま、ただ写真を撮り、黙って立ち去ったのだった。

実際、ここが例の「長いエスカレーター」の一部なのかどうかは判らない。バス移動が多いと自分が街のどの辺に居たのかさっぱり判らなくなるので、後々調べるのも困難だ。
中環へは行ったようなので、「長いエスカレーター」の近くまでは行ったのは確かなようだが…。

誰か香港の地理と「恋する惑星」のロケーションに詳しい人、教えて下さい。

そんな事を思わず願う一枚。


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2011年7月3日日曜日

「写真語り」を始めるて

「画像多めでサラッと書くブログ」と宣言したのに、未だに写真が4,5枚しかないという事実。
仕方ないので昔撮った写真から思い出を語るという、成人男性としてあまりやってはならないとされる「昔語り」をすることにした。題して「写真語り」。まんまでスマヌ。

で、今回第一回。

「笑うブルース・リー」
7年前のテツロー君。
髪が短いです。後ろで結んでる訳でもないです。この時期から後、髪を切ってない訳です。
ちなみに、私が美容院で言った最後の注文は「死亡遊戯の時のブルース・リーの髪型にしてください」で、この日から3週間後の事だ。

ところで、なぜ「死亡遊戯」のトラックスーツを着てるのかと言うと、この写真の一ヶ月後に中国で開催されるマジックのコンテストにこの格好で出場しようとしていたので、それの衣装合わせの場面なのである。

そのコンテスト、当初私が聞いていたのは「香港で開催される」という事だったので、わざわざ語学学校に通って広東語を勉強し、ブルース・リーの衣装まで購入したのに、実際に開催された場所は中国のシンセンだったという壮絶なオチ。

「香港で開催されるローカルな大会」と思っていたので、演技のセリフは全て広東語で台本を作ったが、実際は「中国で行われる国際大会」。そしてマジックの国際大会は英語が基本。おかげでヨーロッパや北米・日本から来た審査員にはセリフが全く通じずエラい目にあった。

コンテスト演技の終盤、「ホアチァー!」の怪鳥音と共に北斗の拳のケンシロウよろしく、着ている服を引き裂いてブルース・リーに変わった瞬間、観に来ていた香港人達にはバカ受けしたが、審査員には総スカンを喰らった。
結果、コンテストで初めて入賞を逃した。

そんな事が思い出される一枚。


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2011年7月2日土曜日

スリーピー・ジョン・エスティス

Wikipedia の「スリーピー・ジョン・エスティス」より
6歳のころ、野球をしていた際に友人の投げた目に石が当たるという事故に見舞われ、右目を失明。
友人、怖すぎやろ!
目を投げるな、目を!


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2011年7月1日金曜日

半年終了

とりあえず2011年も半分終わったので、半年分の総括を。

まず、今年の目標をチェックしてみよう。
  1. 手品の仕事を頑張る
  2. 手品とは関係無い仕事・舞台を頑張る
  3. あちこち出歩く
なるほどな。
我ながら微妙な線を目標にしてやがるぜ。

まず「1」。
まあ、頑張ってるといえるだろう。例年以上にやってる感はある。
が、しかし、最近はマジック業界に全然興味が涌かなくて、業界のトレンドや最新情報も全く判らなかったりする。
最近の自称も「元マジシャン」だったりするし、マジシャンや業界からは以前よりさらに退いてしまった感がある。なんでやろかねぇ?

次に「2」。
これもまあ、去年に比べると頑張ってると言っても過言ではないが、もうちょっと頑張った方が良いだろうなと日々思っている感じだ。
舞台に出る機会を増やしたいものだが、何をしていいのやら…。
難しい。これは難しい。

最後に「3」。
これがやはり鬼門だ。
元々意味なく出歩くのが苦手である上、最近は同じ方面に用事が二つ以上重ならないと出掛けないという、ものぐさ的合理化路線を突っ走っているので、出歩く確率がどんどん減っている。
これから暑くなるし、目にも厳しい季節だし、出ていく気がますます失せる。
弱ったのぉ。

総括として:
まあ、なんと言うか、仕事や舞台など明確な目的がある場合は良いのだが、そうでない場合は、もうちょっとなんとかせねばなるまいて。

とりあえず、あと半年頑張ってみよう。


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