長い間ずっとブログを書いていなかったのに、結果としてこのような話題で再開することになってしまうというのは、たいへん心に重いものがあるが、しかし、形としてなにかを残して気持ちの整理をつけないと、ずっと気持ちの暗いまま過ごす事になるので書くことにする。
中国でのゲスト出演が終わり、帰国用のバスが到着するまでの間 ロビーで談笑するジョニー広瀬師(右端:2004年) |
細切れの時間で何度も何度も少しずつ書き進めることになるので、まとまりのない内容になるとは思うが、それについてはどうかご容赦願いたい。
僕が初めてジョニー広瀬さんに明確に自分の存在を示せたのは、2004年に中国は深センで行われた「The World Magic Exchange Meeting & The 1st Asian Magic Contest」というマジックの国際大会でのことだったと思う。
この大会に僕(ら)はクロースアップ(テーブル)マジック部門のコンテスタントとして、広瀬さんはステージマジックのゲスト出演者として参加しておられた。
この時のコンテストは、部屋を替えて2回演技をしなければならなかったのだけど、そのうちの一回目の部屋、細長く傾斜のついた会議室みたいな部屋、の一番うしろに白いジャケットを着て腕組みをしている広瀬さんが座っておられた。
一回目の演技は、その時の相方がコンテスト初出場だったという事もありセリフが全く頭に入っておらず、正直、かなり良くない出来だった。
ほうほうの体で出演を終え、次のコンテスト会場へ向かうために廊下へ出たら、客席にいた広瀬さんが僕らが出てくるのを待っていてくれていた。そしてニコニコ顔で相方を指差し「お前、えらい緊張しとったやないか~」と言うと、僕ら二人に向かって「次、頑張りや~」と言い残し客席に戻っていかれた。
この日のコンテストに参加していた日本人は僕たちだけだったので、気にかけてくれたのでしょう。そして、国際大会では英語で演技をしなければならないのに、僕たちは二人ともそんな当たり前の常識も知らず(さらに大会会場が中国の深センではなく香港だと勘違いしていたため)、広東語で演技をしたので、僕らの入賞はないというのをこの時点で広瀬さんは解っていたんだと思います。
しかし、この時、広瀬さんに声をかけていただいたおかげで相方は少し冷静になり、次の会場に向かう間により少ないセリフで演技が出来るように内容の再構成し、二回目の演技では会場からかなり長いスタンディングオベーションをいただく程、最高の演技になりました。
コンテストの後、広瀬さんと個人的に話す機会があり、その時に「なんで英語やなかったんや?」というような質問を受けて、正直に「現地の言葉でやると思ってたんです……」と答えたら「そうか、そうか!」と大笑いされました。
ジョニー広瀬さんと香港の国際空港で雲呑麺を食べた話の回:2. 犬にもマジックを
香港・深センの後、僕も当時出演していたマジックバーに広瀬さんがよく遊びに来られるようになりました。
そのお店は一階がバーで、二階は出演するマジシャンの控室になっており、広瀬さんは来店されるとすぐに二階に上がってこられて、我々にマジックを見せてくれたり、アドバイスや即席のレクチャーなどをしてくれました。
その二階には、お店のペットとして二匹の小型犬が飼われていたのだが、ある日広瀬さんは「犬はマジックにひっかからんのやろなー」と言うと、犬のオヤツをひとつまみ、あげるふりをして犬の目の前でサッと消してしまいました。
広瀬さんも周りで見ていた僕たちも、犬には鋭い嗅覚があるため食べ物のような物を消してもきっとその在り処(ありか)はバレる、と思っていました。
ところが当の犬は、あるはずの食べ物が目の前から消えた瞬間にビクッとし、まさに不思議そうな顔をして辺りをキョロキョロと探し始めたのだ。
「おお!おい見てみ!犬、ひっかかりよるぞ!」
と喜んで何度もオヤツを消す広瀬さん。
「お前、鼻ええのにどこにあるのか判らんのか?」
そんな事を言いながら笑顔で何度も何度も犬にマジックを見せる広瀬さん。本当に楽しそうでした。
この「犬もマジックにひっかかる」という事実が広瀬さんにはえらく面白かったのか、この日以後しばらく、来店されるとまず犬のオヤツを消して「お、お前まだ(タネが)判らんのか?」と言ってニコニコ笑っている、という姿をよく見ました。
3. ご自宅への送迎係拝命
ある時上記のお店から広瀬さんが急いで自宅に帰らなければならなくなり、その時たまたま車で来ていた僕がお送りする事になった。
「今日ちょっと送ってもろて、明日朝イチでもう一回(自宅から)新大阪(駅)まで送って欲しいんやわ」
と。
僕は一応「大丈夫です」と答えたが、実は内心は全然大丈夫ではなかった。その時の僕は長年のペーパードライバーを脱却すべく車を買ったばっかりで、知っている道以外を走るのが怖かった上に、クラッチ操作の感覚が全然ダメダメで、坂道発進の度に豪快に後退するような運転をしていたので。
案の定、広瀬さんを乗せた僕の車は坂道を後ろに発進し、危うく後ろの車にぶつかるところだった。
その後、広瀬さんの「ここは右」、「ここは左」、「普通はこの信号はひっかからへんねやけどなぁ」、「右車線走っといた方が良かったけどな」等々、非常に多数の指導を頂きながら、どうにかこうにかご自宅への送迎は完了した。
「ご苦労さん、いや助かったわ。ありがとう、ありがとう」そう言いながら車から降りようとする広瀬さんに向かって僕は言った
「師匠、明日は何時に来たら良いですか?」
すると広瀬さんは「あ~」と一旦小考して
「明日はやっぱりええわ、タクシー使うんで。ほんならおやすみー」と言って自宅の方へまっすぐ歩きだした。
どうも、僕の運転は下手くそ過ぎて、運転手としては失格だったようです。
広瀬さん、あの時はスミマセンでした。今はもうちょっとマシな運転が出来ます。
最後に
書きたい事はまだまだたくさんあるんだけども、一旦これでやめておきます。
脳梗塞で倒れられた後の京橋花月での復活ライブ、最高に格好良かったです。そのライブでは共演者としてたくさんの演者が出演していたにも関わらず、復活を遂げたジョニー広瀬以外、誰も記憶に残っていない、そんなライブでした。
脳梗塞、それのリハビリ、そして白血病と、人生後半は大変だったと思います。どうぞ、ゆっくり休んで下さい。本当にお疲れ様でした。
最後の最後にこれは僕の愚痴ですが、古今亭志ん生の娘の訃報は載せるのに、ジョニー広瀬は載せないという対応をした新聞社、本当に見識を疑います。
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