2022年10月1日土曜日

飲み終わったら終わるラジオ(37) 「地味な目の障害」

 まずはこの13分程の動画を見てやって下さい。


今回も後輩芸人の福人(ふくんちゅ)君のYouTube番組にゲスト出演してました。

今回の一文字は「め」で、目・視力についての話でした。
(「続きを読む」以下、約2,200文字)


今回の動画でたまたま解った事であるが、僕も福人も片目の視力が極端に劣っている。福人は右目が良くて、左目がダメ。僕はその逆。
昔はこういう状態を指して、医者も学校の先生も近所の人たちも、それぞれもれなく「片ちんば」と普通に呼称していた。今ではすっかり使われない言葉になってしまったが。

「片方の目の視力が悪い」より「片ちんば」の方がサッと言えるので、「片ちんば」が使えないなら、それに替わるなにか新しい言い方を提供して欲しいものです。いや本当に。

まあ、それはさておき、こういった「片目の視力が極端に悪い」というのは、やはり目の健康や脳の発育にはあまり良くないようです。
片目を酷使するので疲れ目になりやすく、また、立体視が出来なかったり、二次元の見方・描き方が少し特殊になるそうです。

少しSF的ではありますが、全く目の見えない人に人工眼球みたいなモノを装着し、それを視神経と接続できたとしても、現実的には目は見えるようにならないそうです。

というのも、目は単に光を取り込んでいるだけで、実際には脳が画像処理をしている訳です。で、この画像処理は「長年の経験を経てようやく正しく機能する」という部分があり、ここを時間をかけて鍛えない事には、目から飛び込んでくる光が意味を持つ画像にはならないのだそうです。

僕は産まれてからのほとんどの時間を片目で見ているため、立体視がいい加減なのだそうです。この辺に僕が人の顔を憶えられなかったり、絵が下手な理由が隠されているのでしょう。多分。いや、絶対。


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さて、僕と同じく片目が悪い福人くんであるが、彼が僕よりラッキーだったのは、
  1. 視力が悪い方の目もきちんと見えている
  2. 視力が良い方の目が利き腕側だった
という点です。

特に「2」が良かったと思います。
なぜかと言うと、実はこれ「利き目」が地味に普段の生活で影響力がある、という話なのです。

ほとんどの人は利き腕と同じ側の目が「利き目」になります。普段あまり意識する事はありませんが、利き目はなにかに狙いをつける時にはかなり重要になります。

僕は利き腕が右なのに利き目が左と逆になってしまったので、この点でちょっと苦労しました。

拳銃は構えられるけど腕がクロスするし、ライフルは構えるのすら難しいです。
習い事として始めてみたアーチェリーでは、左目で狙いをつけるため、左利き用の弓を使うことになりました。しかし、利き腕ではない左手でストリングを引くのはかなり辛く、保持が不安定なためリリースした時に弦を押手(おして:アーチェリーを持つ方の手)に当ててしまい、利き手に巨大な内出血をいくつも作って二、三日は不自由な日を過ごさねばなりませんでした。

また利き目が左だと、ファインダーのあるカメラはかなり使いにくいです。
僕の場合は利き目と言いつつ、単に右目が見えてないだけなので、左目で見にくいなら右目で、という訳にもいかないので、ここがかなり面倒くさいです。
古いビデオカメラはファインダーが本体の左側についており、左目で覗くならカメラを低い位置で構え、上から覗き見るしかありませんでした。
これはアイレベルが低い上に、腰に負担がかかりとてもシンドイのです。

ちなみに、ボクシングの構えも自然と左構え(サウスポー:右手が前)になります。これが良い事なのか悪い事なのかは知らないです(殴った事がないので)。

このように僕は「利き腕と逆の利き目」という、ほとんどの人があまり理解出来ない面倒くさい特徴の目を持ってしまっているのでした。


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僕は病気で目が悪くなったので、片目の視力が極端に低下してしまった上に、さらに遠視と「眩しいものが見れない」という後遺症が残りました。

この二つは「利き目が左」よりも大変です。

まず、僕が小学生の頃は「目が悪い」はイコール「近眼(近視)」という認識の人が大多数で、この遠視という症状をきちんと理解している人はほとんどいませんでした。
そして、当時の僕の通っていた小学校では、眼鏡の子供、つまり近眼になる子供をなるべく減らそうと、休み時間に5分間の「遠方凝視」というプログラムが組み込まれていたのです。

「遠方凝視」というのは、文字通り遠くにある煙突などの目立つものを真剣にジット見る、という、単純明快な視力回復の訓練法なのだが、これは遠視にはあまりよろしくない。
それで僕は担任の先生に遠方凝視は僕には良くないので辞めさせて欲しいと懇願したのだが、遠視というモノにまるで理解のない先生は「一人だけやらないとか、そんなのはダメ」という一言でこれを完全にシャットアウトし、僕も皆と同じくベランダに並ばされ遠くを見させられたのでした。

そして、世の中の理解が浅い(追いつかない)という事で言えば、遠視よりもなによりも「眩しいものが見れない」という方が厄介です。
特に日本ではサングラスはいつまで経っても「生意気アイテム」なので、これをかけているだけで「イキってる」だの「いちびってる」だのやいのやいの言われます。

また、「眩しいものが見れない」という症状を体感して理解出来る人が日本人には非常に少ないため、これがいくら体質からくるものだと説明しても、どこからも援護射撃がないのです。なので、この「眩しいものが見れない」は、未だに厄介です。

目に見えて解らない障害ってのは、周りへの対応が本当に面倒くさいです。
特に他人には礼儀知らずの癖に自分への礼儀には異常にうるさい「先輩風のなにか」などは、サングラスをかけているだけで「自分への反抗」と訳の分からない思い違いをして絡んでくるので、ガチで死ねと思いました。いや、マジでマジで。

あと、これは目と関係あるのかないのか解りませんが、僕は「光くしゃみ反射」の持ち主なんです。
これも、理解出来る人はどうも少数派のようですが、「光くしゃみ反射」とは、くしゃみが出そうな時に明るいものを見るとくしゃみが出やすくなる、そんな体質の事です。

つまり僕は「眩しいものが見れない」のに、「眩しいものを見てくしゃみをする」という訳の判らない体質なんです。

なんなんだ、この地味な不自由感は!

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