2022年8月16日火曜日

飲み終わったら終わるラジオ(34) 「酒と泪とお墓とロケ地」

 まずはこの12分程の動画を見てやって下さい。


今回も後輩芸人の福人(ふくんちゅ)君のYouTube番組にゲスト出演してました。

今回の一文字は「は」から「墓参り」で、お墓やお参りに関する話でした。
(「続きを読む」以下、およそ2,700文字)


有名人の墓参りは一部の人にはなかなか魅力的なものらしいですね。「墓マイラー」だか「墓マイリスト」なんて人もいるぐらいで、有名人の墓参りはある意味レジャーになっている感がある。
そのうちKADOKAWAも有名人のお墓を網羅列挙した「墓場ウォーカー」を出すんじゃないでしょうかね?いや、知らんけど。

個人的にはお墓参りにあまり良いイメージはない。
お墓参りというのは、総じて「(気温が)暑い、(時間が)長い、(距離が)遠い」なもので、法事よりはマシだけど、あまり参加したいとは思わない、そんな行事である。

個人的には、お墓はその造形や成立年代にはそそられるモノはあるが、有名人のお墓と言われても全然興味が沸かない。実際にその墓の下に本人の遺体が安置されているとしても、である。

でもこれは、普段の自分の思考と照らし合わせると、なにかちょっと不思議な感じがする。
なぜかと言うと、僕は映画のロケ地なんかに行くとテンションが上がってしまうタイプの人間だからである。

「ここに◯◯(俳優)が立っていた!」とか「この風景が▲▲(映画)で映っていた!」で興奮できるのに、なぜお墓ではそうならないのか?

自分の足元、もしくは目の前に、その好きな俳優や過去の偉人が遺骨という形で眠っているのに、なぜもっとエキサイトしないのだろうか?
好きな人のいわば「本体」がそこにあるのに、である。
これは、不思議な現象だ。

その昔、僕はカナダ旅行で”HOPE"という名前の小さな街を車で通り過ぎたのだが、後年たまたま調べ物をしている時に、このホープこそが映画「ランボー」に出てきた街(ロケ地)であることを知った。

そうなると不思議なもので、当時は車で通り過ぎる時に”HOPE”という名前以外一切注目しなかったあの小さな街に、もう一度行きたくてたまらないのである。
「なぜあの時立ち寄らなかったのだろうか?」
「通り過ぎる時に写真の一枚でも撮っておけば良かった!」
そんな後悔が今でも頭の中に渦巻いている。


面白い地名だったので車から咄嗟に撮った"HOPE"の案内板(矢印)
ホープに関する写真はこれ一枚しかない


後に高速道路の関係で案内板から名前を消された"HOPE"
ホープなのに夢も希望もない
(画像はGoogle Street Viewより)


しかし翻って、ここで仮に「ランボー」の主演俳優であるシルベスター・スタローンが亡くなったとして(失礼!)、スタローンのお墓に行きたいかと問われると、やっぱり全く行きたいとは思わない。

フィラデルフィア美術館のロッキーステップを駆け上がり、その下にあるロッキー・バルボアの銅像で記念写真を撮りたいとは思うが、やはりスタローンの墓には興味が沸かない。

ところが、スタローンが新作映画の宣伝で大阪のとある映画館に来ると言われれば、僕はやはり最善を尽くしてなんとか生身のスタローンを見に行こうと必死の努力をするだろうし、その御身が見れなかった場合は、後日、件の映画館に行って「ここにスタローンが立って舞台挨拶をしたんやなあ」と感慨深く思うだろう。

だからといって、スタローンのお墓にはまったくもって興味が持てないのであるが。

このように僕は「有名人+お墓」という組み合わせに僅かばかりも心躍らせたりはしないのであるが、でもそう遠くない将来、世間に「お墓参りブーム」が怒涛の如くやってくると僕は確信しています。

だから、角川さん「墓場ウォーカー」は早目に発行しておくべきだと思いますよ!


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法善寺横丁の火事は、資料によると2002年の9月9日だったそうで、原因は旧中座の解体工事中に起こったガス漏れ・ガス爆発からの延焼という完全なるとばっちりで、時の法善寺横丁は実に19店舗ものお店が焼け落ちてしまったそうだ。

しかも、もらい火事の半年後に、今度はなんと横丁内の店舗から失火。前回は焼失を免れた反対側の南側が焼け落ちるという、とんでもない試練をも経験している。

最初の旧中座のガス爆発に関しては、「ひとつのビルにガス引き込み管が二箇所ある」という約50年前の伏線を経て、図面の記載ミス、作業員のミス、指示者のミスをたどり、最終的にはガス漏れしているにも関わらず、暗所作業中に落とした懐中電灯を探すためにライターを着火、そして引火爆発という「やってはいけない連鎖を全部やる」という事故だったそうです。
まあ、事故というのは往々にしてそういうものではあるが、さすがにこの「負の連鎖」は酷い……。

さて、この時の法善寺横丁には、河島英五さん(当時はすでに故人)がやっておられたお店もあったのだが、残念ならがこのお店は2度目の失火の際に焼けてしまい、その後閉店してしまった。

実は僕と法善寺横丁の繋がりは、この河島英五さんのお店だけしかない。

河島英五さんのお店「BAND-I-AMIR(バンディアミール)」については、世の中にあまり情報がないので(Wikipediaの「河島英五」の項目にも載っていない)、これを機会に少しだけ書いておきます。
といっても、写真などは一枚もありませんけども。

河島英五さんは、この法善寺横丁のお店の前にも、憂歌団の木村充揮さんから引き継いだお店「Bee House」を桃谷でやっておられたのだが、その店の週末ライブの常連だった僕は英五さんから「今度、法善寺でカフェをやるんで、良かったら来てよ~」と声をかけていただいたのだ。
その時は、河島英五といういかにも「俺は男だ!」みたいな人から「カフェ」という単語が飛び出したのでちょっと驚いたのを覚えている。居酒屋とか立ち飲み屋なら一瞬で納得出来たと思うんだけども。

オープン当日にお邪魔した店内には、ぐるり壁一面に墨で絵が描かれており、英五さんが「これ全部、俺が描いたんだよ。朝までかかって描いたんだよ」と笑顔で説明してくれた。

黄褐色の壁を砂漠に見立て、そこにたくさんのラクダを率いたキャラバンの絵が描いてあった。その絵を指して英五さんはラクダがうまく描けたと特にご満悦の様子だった。
ラクダ以外にも、「自然」を表す4つのシンプルなシンボルがあり、それぞれのシンボルが意味する場面を大きく描いた絵もあり、バンディアミールというと、英五さんの絵が浮かんでくるぐらい、とにかくたくさんの絵が壁に描いてあった。

この日はゲストとして若手のミュージシャンが数名来ており、1階でオープニング記念として30分ばかりのライブが行われた。

この時来ていたミュージシャンの一人が、当時日本ではまだ珍しかった「カホン」を演奏しており、このカホンをいたく気に入った英五さんは店内ライブが終わった後も、「これはいいなー、これはいいよー」と言いながら、そのカホンをどかんどかんボコンボコンとご機嫌さんで演奏していたのでした。

日時は忘れたけれど、1997年の「バンディアミール」オープン初日のそんなひとコマ。
忘れられない思い出です。


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余談ではあるが、この記事を書くにあたって横山やすし氏と河島英五氏を調べ直したのだが、お二人共今の僕よりも若い時分に亡くなっているんですね……。

いやホント、なんか申し訳ない。

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