2013年7月18日木曜日

祝・ファミリーコンピュータ30周年(3)

祝・ファミリーコンピュータ30周年の「極私的ファミリーコンピュータの思い出その3」。あくまでも自分の周りで起こった事を中心に書く、ファミリーコンピュータのあまり知らなくてもいい歴史。

ファミリーベーシックのキーボード
(カタカナが五十音配列)


ソフト購入の難しさ
ファミコンのソフトは、当時の子供(小中学生)にはかなり高い金額であったが、なんせ魅力的なゲームがたくさん発売されるので、どれもこれもみんな欲しいという「今まで経験した事のない強力な物欲」が生まれた。

しかし、当然ながら全てのソフトを購入することは不可能である。そこでカセット貸し借りのネットワークが自然と発生した。

「◯組の△△が××を持ってる」
「□□が今度、●●を買うらしいで」

みんな、誰が何を持っていて、次の購入予定は何かなのを把握していた。

この貸し借りのネットワークに上手く入り込むためには「他人があまり持っていない面白いゲーム」を持っている必要があった。
特に後発組は、周りが「おお!」と言うぐらい希少価値の高いゲームを持っていないと、なかなか相手にしてもらえなかった。

さらに自分が面白いと思うゲームでも、他人が面白いと認めてくれないと、輪から弾き出されてしまう可能性があった。

「あいつの持ってるゲーム、全部おもんないねん…」

こんなセリフは貸し借りネットワークおいては、ほとんど死刑宣告に近いものだった。

今ほど中古売買が盛んではなかったあの当時、新品一本で5,000円近い金額がするゲームの選択を誤る、これは本当に悲惨な自爆行為だったのだ。


集まってゲーム
貸し借りネットワークに参加できなかった者も、友達の家に集まってゲームをする時は呼んでもらえ、みんなで一緒にゲームを楽しんだ。

ファミコンの素晴らしかったところは、最初からコントローラーが二つあった事と、二人同時プレイのゲームが豊富にあった事だ。

僕は特に「ベースボール」が得意で、当時の友達相手に20連勝だかをして、相当嫌がられた。

また「協力プレイが出来る」タイプのゲームでは必ず(必ず!)

「おっと、ごめん、ごめん!」

という一言から故意の殺し合いに発展するのがお約束だった。


年長の兄弟が居る家には貴重で高価なゲームが多くあったので、そこの兄貴が学校から帰ってくる前にみんなで集まり、こっそり遊んで、こっそり帰るという事もよくやった。
そこの兄貴に見つかったら全員がシバかれる可能性があったので、ヒヤヒヤしながら遊んだもんだ。

本来一人で遊ぶタイプのアクションゲームやRPG、アドベンチャーゲーム、シューティングゲームもみんなで集まって遊んだ。

「ここは俺に任せろや!」
「うるさい、ここ俺まだやったことないんじゃ!」

「お前、そんな歩き方するから敵に遭うねん!」
「関係あるか、ボケ!」

そんな事を言いながらコントローラーを渡して、代わる代わるプレイし、みんなでエンディングを目指したのである。

ドラゴンクエスト、同II、ポートピア連続殺人事件、ゼルダの伝説、メトロイド、スーパーマリオブラザーズ、同2、その他にもかなりたくさんのゲームをみんなでクリアした。

初期の「麻雀」なんかも、みんなで集まりどう打つのかを検討しながら遊んだ。
「麻雀」は手牌を検討しようとしても、Pauseをかけると「TEA TIME」という手牌の表示されない別の画面になってしまうため、みんなプレイ中は画面にへばりついて、画面を指さしながら必死で検討したのだった。


つづく…

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