ドクターマリオ(NES版) |
任天堂帝国
今現在や、少し前からの任天堂しか知らない人にはピンと来ないかも知れないが、ファミコン時代の任天堂は、暗い面(ダークサイド)が割と強く出ていた。
今現在や、少し前からの任天堂しか知らない人にはピンと来ないかも知れないが、ファミコン時代の任天堂は、暗い面(ダークサイド)が割と強く出ていた。
当時、ファミコンを持ち、任天堂が作った良質なゲームでさんざん遊びながらも「任天堂が嫌い」という人はたくさん居たし、社会的にも任天堂は「やり手の会社」というよりも「あくどい会社」に近いような、そんな後ろ暗い雰囲気があった。
なぜ、そんな雰囲気が形成されたのか?
今回はその辺りの事情を書いてみたいと思う。
※内容に関して:当時聞いたり思ったりした事をそのまま書くので、当時の知識不足からくる誤解や勘違いがたくさん含まれています(特に技術的な面で)。
また噂や出自の判らない発言もたくさんありますが、あえて訂正も削除もせず掲載します。当時の小中学生の情報収集能力がその程度だったと思って読んでください。
ソフト値上げ事件
初期に発売されたカセットが3,800円から4,500円に値上げされた事件。この時、パッケージデザインも変更になり、箱に緩衝材となる透明ケースが付くようになった。
いきなり700円の値上げは子供には厳しく、さらにこの値段がカセット販売の下限になったので、そう言う意味では大きな事件だった。
コントローラーのボタン丸型化
初期のコントローラーのボタンが四角だったのは有名だが、この四角ボタンは応答性が悪く、凹んだまま戻ってこない場合もあった。
任天堂は改良した丸型ボタンのコントローラーをなんの前触れもなくリリースしたが、四角ボタンのユーザへの救済処置は一切なく「新しいコントローラーを買って自分でつけてください」という冷たい対応をとった。
ドンキーコング内容カット
最初期の発売された「ドンキーコング」や「マリオブラザーズ」は、アーケード版に比べ簡素な内容になっており、特にドンキーコングは50mの面がまるまる入ってなかった。
これに対して任天堂は(ソフトともハードとも言わず)曖昧に「技術の限界」と答えたため、後に発売されたソフトを見た古参ユーザーの中には「騙された」という思いを持つ者もいた。
ディスクシステム(1) 専用ディスク
ディスクが専用ディスクだったため、当時のPCユーザーの中には、「子供相手でも取りこぼしなく儲ける任天堂」というように感じる者も居た。
ディスクシステム(2) 大容量でセーブも出来る
大容量でセーブも出来るのがディスクシステムの特徴だったが、メガロムとバックアップ機能付きカセットの登場でその利点はなくなった。
ディスクシステム(3) これからはディスクシステムの時代
安く買える上、書き換えも出来て、大容量でセーブも出来る。今後、任天堂はディスクシステムだけでゲームを出す。と謳っていたが、結局そんな時代は来なかった。
ディスクシステム用に名作はある程度出たが、稼働年数としては3年程であり、購入したユーザーとしては「裏切られた感」は拭えなかった。
任天堂チェック
任天堂は「ダメなゲーム」を市場に出さないために、内容に対してかなり厳しくダメを出す「任天堂チェック」を行なっていたが、いわゆる「クソゲー」は市場から一切駆逐されなかった。
対ナムコとの争い
初期のファミコン市場を牽引したナムコとの契約を更改し、ナムコをファミコン市場における数々の特権を剥奪した単なるサードパーティの地位に落とした。これによってナムコと任天堂は険悪な関係になる。
当時、ナムコはファンの多いゲーム会社だったので、ファンを巻き込む形で任天堂の悪辣さが語られた。
サードパーティ
サードパーティは任天堂に対して受託生産の形でソフトを出させてもらうのだが、この時、製造するカセットの代金を全額前金で支払わなければならなかった。
これは、任天堂チェックと合わせて、体力の無いソフトハウスやメーカーには、相当厳しいハードルとなった。
この受託生産方式は、任天堂にとってはほぼノーリスクだったため、サードパーティに同情的な人には任天堂が相当えげつない会社に見えたはずである。
コピー禁止、真似も禁止
当時、任天堂の認可を受けていないROMコピー機やディスクが販売されていた。当然ながら任天堂はこれらに対してかなり強力に潰しにかかった。
さらに、件の任天堂チェックで、任天堂のゲームに似ていると判断されたものは尽く企画を潰された。
古参のアーケードゲーマーは、過去に任天堂が「インベーダー」のコピーゲームを作っており、「遊び方に特許なんかないんです」と自らのコピーを正当化していたのを知っていたので、このダブルスタンダードには辟易した。
とまあ、こんな感じです。
上でも注意しましたが、中には明らかに間違ってるものや誤解に基づくものもあります。当時は子供なんで、情報を精査することなんて出来なかったのです。
今なら調べて訂正を入れることも出来ますが、当時こんな事を思ってた人も居るというのを残すために、あえてそのまま書きました。
当時の任天堂は憧れの会社でありまた、子供から上手くお金を吸い上げていく会社でもあった訳です。
当時の任天堂は憧れの会社でありまた、子供から上手くお金を吸い上げていく会社でもあった訳です。
あの当時の雰囲気を一言で言うなら
「Nintendo は好きだけど、任天堂は嫌い」
そんな感じでしょうか?
ユーザーの任天堂への想いは、まさに愛憎関係だったのです。
そんな訳で「祝・ファミリーコンピュータ30周年」でした。
ファミコン発売から5年間ぐらいの「今では忘れ去られた当時の雰囲気」を思い出しながら書いてみました。
ちょっとでも当時の状況に興味を持ってもらえたら、書いた甲斐があったというもんです。
次回は「祝・ファミリーコンピュータ40周年」で再会しましょう!
[完]
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