2021年8月11日水曜日

君はライアン・クルーザー(クラウザー)を知っているか?

 あなたはライアン・クルーザー(Ryan Crouser・クラウザーとも表記する)を知っているだろうか?
おそらく「ライアン・クルーザー」で検索をしてここにたどり着いた人以外は、誰も知らないだろう。

ライアン・クルーザー
(gorin.jpの動画より:以下も同じ)

彼は、リオ・デ・ジャネイロ、東京とオリンピック二連覇をなし遂げたアメリカの砲丸投選手である。

そればかりか、ウルフ・ティンマーマン、ランディー・バーンズと続く「限りなく黒に近い世界記録の系譜」を過去のものとして葬り去った、砲丸投界の「クリーン」な英雄でもある。

補足で説明すると、ウルフ・ティンマーマンは国家が組織的にドーピングを行っていたとされる東ドイツ(当時)の砲丸投選手で、彼が1988年のソウル・オリンピックで記録した22m47cmは、リオ・オリンピックでクルーザーに破られるまで実に28年間もオリンピック記録だった。
また、ランディー・バーンズはアトランタ・オリンピックの金メダリストであるが二度のドーピング違反があり、のちに終身の資格停止処分となった選手である。彼の作った室内記録22m66cmと屋外記録23m12cmは、2021年にクルーザーが更新するまでなんと30年以上も世界記録として残ったままだったのである。

過去、砲丸投で23m以上の投擲を行ったのは、ウルフ・ティンマーマン、ランディー・バーンズとライアン・クルーザーのたった三人しかいない。ランディー・バーンズとライアン・クルーザーの間には30年間という長い年月が経過しているが、その間に誰一人として23mを超える投擲を行える選手はいなかったのである。
1980~90年代に比べ、栄養学やトレーニング理論も含めたスポーツ科学は圧倒的に進化しているが、それでもこの30年間は過去の記録にまったく太刀打ち出来なかったのである。当時がいかに過激な薬物使用をしていたか、うかがい知れようと言うものだ。

そんな、「過去の闇の記録」を一掃したのがライアン・クルーザー、その人なのである。

クルーザーは東京オリンピックに乗り込むと、砲丸投決勝では一投目でいきなり自身が持つオリンピック記録を更新。さらに5投目までのすべての投擲で「リオ・オリンピックまでのオリンピック記録以上を計測する」という驚異的な記録を並べた。

結果、最終投擲である6投目を投げる前にクルーザーの金メダルは確定した。

彼は6投目をテキトーに投げても、ファールしても、棄権しても、「ペタンクと間違えちゃった~」とオチャメをカマしても構わなかった。

しかし、クルーザーは真剣な面持ちで砲丸を掴むと、サークルへ入り、サングラス越しにも判る燃える目で構えにはいった。
それは誰が見ても、オリンピックの場で自身がこの6月に記録した世界記録の更新を狙っていると判る目であった。その決意は競技をしているライバル達だけでなく、画面を通して見ているこちらにも、ひしひしと伝わってきたほどである。

6投目に入るクルーザー
ここまでのすべてが22m超えという異次元の記録
(ちなみに日本記録は18m台である)


雄叫びとともに放たれた砲丸は、やや直線的に飛び、WR(ワールドレコード)と書いてある立て札の延長線付近に落ちると、勢いよくゴロゴロと転がって画面から消えていった。

その瞬間、場内は異常なざわめきに包まれ、実況と解説の二人は興奮状態で「きたー!」と絶叫した。

WR付近で着地し、勢いよく転がっていく砲丸


残念ながら世界記録の更新はならなかったが、それでも23m30cmと、世界記録にあと7cmと迫る世界歴代第二位の大投擲であった。

クルーザーの記録が確定すると、ライバル達は次々に彼と握手をし、抱き合い、クルーザーの金メダルと彼の記録に対する飽くなきチャレンジ精神を、そしてお互いの健闘を笑顔で称え合った。

実に感動的なシーンだった。





ただ、この話を知っている人はそんなに多くはないはずだ。

しかし、翻って、今回のオリンピックで新種目だったスケボーやBMXでの「称え合う姿」みたいなのは、繰り返し報道され、称賛され、「今までのスポーツにはない文化だ」と盛んに宣伝された。


でも、多分それはちょっと違う。

確かにスケボーやBMXみたいに「(競技というよりも)みんなで盛り上げていこうよ!」みたいなノリはないが、どんな競技だってお互いを称え合う美しい文化はある。

ただ、報道する側がそれを意図的に「見ていない」だけだ。

日本人の出ていないマイナー競技の上、「太っちょでヒゲ面のおっさん同士の抱擁」なんて「絵」にならないと判断してパスしているだけだ。

これから東京オリンピックの総集編的なTV番組があったとしても、この砲丸投のシーンは絶対に出てこないだろう。ちなみに今のところ、その日のハイライトや今大会の名場面でも一度も見たことがない。
東京へ発つ前日に亡くなった彼の祖父に向け「おじいちゃん、やったよオリンピック・チャンピオンだよ!」という手書きのメッセージを示し涙するという、日本人好みの泣けるシーンがあったのに、である。

祖父に対するメッセージを掲げ涙するクルーザー
(Olympics 公式YouTubeチャンネル
「The best of #Tokyo2020 🗼 | Top Moments」より)

「お互いに褒め称える姿がいい」、「リスペクトし合っている」等々、美辞麗句で繰り返し取り上げられる人達もいれば、同じことをしても全く触れられない「太っちょでヒゲ面」の砲丸投選手達もいるのだ。
スポーツという同じ土壌で、こんな悲しいことがあって良いのだろうか?

もしそんな、哀しみを帯びた砲丸投選手達にあなたが少しでも興味が持てたらなら、せめて「ライアン・クルーザー」という名前だけでも、憶えておいて欲しい。

彼はきっと次のパリ・オリンピックでも金メダルを獲るだろう。
そして、彼が晴れてオリンピック三連覇をなし遂げた暁には、あなたが周りの人に対してこう言うのだ。

「君はライアン・クルーザーを知っているか?」

と。


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