2024年7月16日火曜日

Mリーグの次は?麻雀よもやま話(4)「麻雀の本」

 Mリーグ景気に湧く麻雀業界の次はどうなるのか?

ネガティブとまでは言わないがポジティブとも言えないそんな感じの話を書く集中連載、第四回。

今回のテーマは、麻雀の本にまつわる話です。

いわゆる「戦術本」と言われるモノの話なんですが、今回が麻雀界隈の話で一番「ネガティブ」な話題かも知れないです。

「いわゆる戦術本」は、分類上は趣味の本だと思いますが、しかし、基本的には技術書だと思います。読者に向けて「あなたの知らない技術や知識を授けます」という方向性な訳ですから。

IT技術者向けの本や、同じくゲームという事であれば、それこそ囲碁や将棋からゲームの攻略本もある意味同じジャンルになると思います。

そういった観点から見ると、麻雀の「戦術本」は、技術書と言われる本の中でも、とりわけ値段に対して内容が見合ってない本が多いように思います。

ここで言う「内容」とは、本に書いてある「文章の価値」ではなく、単純に「文章の量」の事です。つまり、何が書いてあるかはさておいて、文章量がスカスカだと言っている訳です。

麻雀の戦術本を手に持ってパラパラとページをめくっていくと良く分かりますが、本当に恐ろしいぐらい空白の部分が多いです。

「広い余白、大きなフォント、余裕のある行間」の三点セットはまず基本で、とにかく中核を占めるべき「技術論」の文章が非常に少ないのです。

麻雀の戦術本は、大体1,500円から2,000円ぐらいですが、文章量だけを見るに300~500円、せいぜい頑張っても800円ぐらいじゃないかなと思います。あくまでも「文章量」だけの話だけですが。

そして、肝心の文章の方も、必要性が希薄なコラム、昭和臭い埋め草の文章、捨てカット、戦術論とはズレた内容の対談などなどが満載で、技術としての麻雀の解説は酷い本になるとそのページの数行しかない、といった場合があったりします。数十行じゃなくて「数行」ですよ?

ちなみにアレな戦術論のありがちなフォーマットは大体こんな感じになります。

  • 麻雀とは関係ない街で見聞きしたこと。もしくは、雀荘での光景など本文とは直接関係ないか微妙に当てはまっている導入パート
  • 導入パートを受けて牌姿提示
  • その牌姿に対しての解説や解答(ここが数行)
  • 解説や解答に対して強引に結び付けられた昭和風の全然面白くない小話や男女論でシメ

別にこういったフォーマットが悪いとは言わないのですが、これは雑誌連載でなんとか文字数を稼ぐための書き方であって、わざわざ戦術本でする必要はないと思うんですよね。

で、戦術論以外のところは、1ページまるまる使った内輪ネタの4コマ漫画、誰かとの対談という名の雑談、著者の人となりを表すコラムなどが埋めていて、ひどいのになると、節のタイトルだけでドーンと1ページ取ったりしていたりするんです。分かりますか?「章」のタイトルじゃないですよ。「節」のタイトルで1ページですよ?

出版するにあたり、ページ数を水増ししたいのは分かりますけど、でも、それを戦術本でするのは正直言って不誠実だと思うんですよね。

とにかく、そんな感じでほとんどの戦術本は文章量が乏しいので、新大阪・東京間ののぞみ乗車では、二冊はないと時間を持て余す事になります(※1)。

どんな業界でも本を出せる人というのは、その業界で限られた超一流の人な訳です。そんな人が書いている本がスカスカだと、他業種からは「あ、この程度の業界なのね」と舐められます。そうならないような、読み応えのある分量の本を出して欲しいものです。

(※1 実践で使えるほど内容を深く理解して読むという意味ではなく、あくまでも「読むだけ」の場合ですよ)


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文章量が少なくても情報密度が高く正確であれば、それはまだ「買い」だと思いますが、実際、麻雀戦術本の情報精度はどうなんでしょうか?

麻雀の戦術本には、現在おおまかに二種類の路線があります。

ひとつは、昔からある、麻雀強者と言われている人の「俺様のやり方」のパターン。

この手の本は、「その人のこれまでの実績」というバックボーンを担保にしているため、著作者本人とその実績を評価している人でないと、そこに書かれている数々の事象は単に「根拠がない」、もしくは「ふざけてる」ようにしか見えません。

ですので「信じる人は救われる」系の信者本になりがちなのですが、それでも「俺はこう考えて、そして実際に勝ってきた!」という切れ味鋭い言い切り型の文章に、(信じる信じないは別として)ある種の小気味よさは感じます。一言で言うならば「信念がある」ということです。

もうひとつは、最近多い主に確率や統計、牌の効率良い組み合わせをベースとした理知的なパターン。

一見するとなんとなく「理知的パターン」の方が内容は良いように思えます。実際、「俺様のやり方本」より根拠はしっかりしていると思いますし、信用出来ると思います。特に牌効率や牌理の本は信用出来ます。

しかし、「俺様本」同様「なんじゃこれは?」と思うところもいくつかあったりして、しかもそれが「いかにも数字的に裏付けがあって正しい」ように書いてあるのが、ある意味「俺様本」よりタチの悪いところだと思います。

なぜ「理知的」なはずの本にこういった欺瞞が混入してしまうのかと言うと、ほとんどの「理知的本」は著者本人が統計を取ったり確率を計算している訳ではなく、第三者のデータを引用しているだけだからです。

つまり、本人に数学的な素養やセンスが欠けているため、自分の考えを開陳する段になると「正しさを証明する」という部分をすっかりぶっ飛ばして「なんとなく雰囲気で正しい」結論だけを出してしまうわけです。

例えば、引用するデータがある場合は、やれこの場合は何パーセントだの、統計的にはこうだのと書いておいて、ついでのような感じで

「残り枚数が4枚と3枚なら4枚の方が有利」
「一枚でも枚数の多い方が確率的に有利」
「(役牌は)巡目が進めば相手に重なる確率が高くなる(ので早く切ろう)」

みたいな事をなんの証明もなくサラッと書いたりします。

これらは一見自明のようですが、厳密に言えば証明がなければそれが真に正しいかどうかは解りません。また、どれぐらいの差があれば明確に有利なのか、無視していい差はどれぐらいなのか、その閾値も設定されていません。

「少しでも確率が良い方を選べ」というなら、選択のある局面ですべての可能性を計算しなければなりませんが、作者にそれが出来るような計算能力があるようには残念ながら見えませんし、おそらく実際にないでしょう。フォン・ノイマンじゃあるまいし。

この、具体的な数字の挙がる局面では数字を用い、ない場合は雰囲気で正しさを装うというのは、「理知的本」のちょっとした卑怯な部分です。

この手の言説で僕が一番ゲンナリしたのは、「こういった〇〇な局面でどちらが有利なのかを友人に計算してもらった結果、△△が良いという結果が出た」みたいな、なんの証明にもなっていない噴飯ものの文章を「我、真理を得たり!」とばかり意気揚々と商業出版の本に書いてあるのを見た時です。最初は悪い冗談かと思いました。

要するに、ライターも編集者も数学的な正しさというのを軽く見過ぎなんだと思います(※2)。

ただまあ、そういったイカレタ部分を含みながらも、「理知的本」は「書いてある事の概ねは正しい」と納得出来るだけのパワーはあります。

「理知的本」の本当に嫌なところは、同じような話題を表現や文章を変えて多数の本から何度も何度も読むハメになる、という「話題的に頭打ち」なところです。

(※2:もっと言うと、数字の引用元の出典をまったく明示しない場合もあり、データの扱いもかなりいい加減です)


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最後は製本や出版に関する事を。

麻雀の本を割とたくさん読んだ身から言わせてもらうと、麻雀の本は誤字が多いと思います。編集者か校正者かどちらの問題かは判りませんが、麻雀に対する愛が足りません。

麻雀の本は、日本語以外に麻雀牌も本文中に挿入しないといけないので、面倒くさいのは分かりますが、この麻雀牌のところで誤字が頻発します。

上段に配された手牌の中に無い牌を本文中で指示したり、同じ数字の別種の数牌を指示したり(七萬なのに七筒と書くなど)します。後者はどちらの数牌も手牌の中にあると、なかなか間違いに気付きません。

全体牌譜では、最終形にツモってない牌があったり、手牌から消えた牌があったりととにかく酷いです。

あと、製本に関して言うと、どう考えても麻雀の本は「左開きの横書き」で決定だと思うのだけど、今でも「右開きの縦書き」が多くて辟易しています。

麻雀の本で「右開きの縦書き」にするメリットってなんですか?正直言って読みにくい以外の何物でもないと思いますが……。


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