2022年7月12日火曜日

飲み終わったら終わるラジオ(31) 「お肉と『池田の猪買い』」

 まずはこの11分程の動画を見てやって下さい。


今回も後輩芸人の福人(ふくんちゅ)君のYouTube番組にゲスト出演してました。

今回の一文字は「い」で、「イノシシの肉」、「クマの肉と冬眠」、「マダガスカル島の猿」の話題へと。
(「続きを読む」以下、約3,140文字)


今の世の中、さまざまな「肉」が流通していますが、思えば僕はそのほとんどを食べたことがない。

福人の言った「熊の肉」も当然食べたことがないし、昔から割りとポピュラーな馬肉も実は今まで食べたことがない。

逆に食べたことのあるものは、牛、豚、鶏の「肉の大三元」に猪、羊、ヤギ、鹿ぐらいか?
ダチョウも食べたことがあるような気がするが、はっきりとダチョウと認識して食べた憶えはない。

中国に行った時に、なにか今まで味わったことのない妙な歯ごたえの肉を食べた事もあるが、それが何の肉だったのかは、今となっては全く分からない。

肉の種類という意味で言えば、僕はどっちかと言うと「魚食い」に分類されそうです。


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牛肉を別格として肉に順位をつけるとすると、個人的には鶏と羊の順位が高い。

羊肉は、昔はあまり食べるチャンスがなかったので、見つけたら飽きるほど食べていた。
特に谷町九丁目にあったネパール料理の店では、入店してからお酒も飲まず、ずっと羊の串焼きを延々と頼んではただ食べ続けるという「謎の羊喰いマシーン」スタイルだったので、オーナーさんを微妙に戦慄させていました。

これは上海の羊肉串屋さん
店の前を通る度に買っていたので顔を憶えられた


今ではサイゼリヤでも食べられるし、そこらで羊肉も売ってますので、お手軽になりましたね。

羊肉を普通に売ってるのを、最近まで知りませんでしたけども。


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さて「猪」である。
(ここから異常に長いです)

動画で語っている「池田の猪買い」というのは、有名な上方落語の演題で、これは「いけだの《しし》かい」と読む。

「猪」なのに「いのしし」ではなく「いの」でもなく「しし」と読むところに、いつも引っかかりを憶えていた。

ちなみに花札の手役である「猪鹿蝶」は、同じ「猪」を書いても「《いの》しか ちょう」と読む。人名だって「猪瀬」は普通「いのせ」であって「ししせ」ではないだろうし(「ししせ」さんが居たらすみません)。

ともかく「いの」と「しし」では、読むところが正反対だ。

そして、元々「猪」には、音読みで「ちょ」、訓読みでは「い、いのしし」という読み方しかないのである。

「猪鹿蝶」は「いのしし・しか・ちょう」と発音するのが面倒で、省略形として「いの」になったのだと推察されるが、「池田の猪買い」の「しし」とは一体なんなのか?

今回、この動画を期に、一度「猪の読み」を調べてみることにした。すると、とても面白いことが分かった。

まず、「いのしし」という言葉の意外な真実。

実は猪(いのしし)は、訓読みにあるように昔は「い」と呼ばれていた。
そして、「しし」という日本語が意味するところは、もともと「獣」や「獣の可食部」つまり肉を指す一般名詞だったのである。

つまり「いのしし」という言葉は「い」という動物の「しし(肉)」という意味で、同じように鹿もいにしえでは「か」と呼ばれており、その肉は「かのしし」と言われていたのだそうな。そして、そこから転じて動物自体が「いのしし」となり「かのしし」から「しか」に遷移したという事なのだそうです。

というか、調べてみてびっくりしたんだけども「肉」という漢字の「にく」という発音、これは実は音読みなんですね。訓読みでは「しし」と読む。これは、僕も今の今まで全く知りませんでした。

ということは、「池田の猪買い」は、「池田の肉(しし)買い」という意味だった可能性もあるのだろうか?
個人的にはこれは薄いと思っています。

「池田の猪買い」という落語の演目が成立したのは、おそらく(あくまでもおそらく)、江戸の中期以降のはずで、また、この演目が江戸落語へと移された形跡が無いこと、得意とした噺家さんがほとんど昭和期の人であることを考えると、明治や大正あたりに今のような形式で落語として成立した可能性が高いと思われます。

そして、その当時の人、それが例え江戸中期の人であっても、お肉の事を指して「しし」と言っていたというのは、にわかには信じがたいものがあるように思えます。
逆に猪の事を指して「しし」と呼んでいた方がまだ信憑性はある。

また「池田の猪買い」では演目の中で猪の肉を指して「ししの身」という言葉が出てくる。これはつまり、この演目が成立した頃にはすでに「しし」という言葉に対して肉という意味は含まれなくなっている、という事ではないだろうか?

というか、「いのしし」という言葉が動物を意味せず、「い の 肉(しし)」だった時代というのは、おそらく古代とか中世のあの辺りだと思うんですよね。今のところなんの確証もないですけども。
なので、「池田の肉(しし)買い」説は、多分無いと思います。

そうなると「池田の猪(しし)買い」はやはりイノシシの省略形で間違いないような気がします。
では、なぜ「しし買い」なのかが問題になってきます。

普通は「しし」と言えば「獅子」を指し、「しし」を猪の意味で使うのは、「しし肉」や「しし鍋」、さらには「しし撃ち」ぐらいで、後ろに名詞を伴う時だけのような気がします。
「しし撃ち」は本来「しし撃ち名人」等の名詞形が続くか、「しし撃ちに行く」という形から連用形が名詞化したものだと思われるので、「しし買い」自体は「買う」の連用形名詞化接続で説明が付きます。

なので、そういう意味でいうと、もしかすると「猪鹿蝶」も本来なら「しし」で略したかったけど、そうすると「しししかちょう」になって言いにくいので「いのしかちょう」になった、というのが真相かも知れません。
「猪鹿蝶」の方が特殊事例という説です。

ともかく、言葉というのは多分に「正しい意味」より「言いやすい方」が優先されるきらいがあるので、おそらくは「いのしし買い」、「いの買い」、「しし買い」の3パターンから一番言いやすい「しし買い」が選ばれ生き残ったという事なのでしょう。
そして、元々の意味通り「しし」に「猪」の字を当てて「池田の猪買い」としたのでしょう。

しかし、シシ鍋も一応「猪鍋」と書きますが、これは「いのしし鍋」と読んでも問題がないのに、「池田の猪買い」は、演題という事もあって「いのしし買い」とは読めないのが、ちょっと問題をややこしくしてますね。

えっ、してないって?


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さて最後にもう一つ。
「池田の猪買い」を調べていて、他にも面白い事を見出したので、それもご紹介。

「池田の猪買い」の元となった話は1700年代、つまり江戸時代は5代将軍徳川綱吉の時代に「野猪(やちょ)の蘇生」というタイトルで、上方落語の祖と言われる露の五郎兵衛がその著作「露休置土産 巻四」の中で発表している事が分かった。

ここで「野猪の蘇生」が成立した年代を見て、僕は今まで「池田の猪買い」を聴いていて不思議に思っていたところが少しだけ納得できた。

それは、「なぜ、大坂までも名の聞こえたシシ撃ちの名人である六太夫さんが、猪に弾を命中させていなかったのか?」という点。

これが僕にはずっと不思議だったのだが、それは多分、この時代に発布されていた「生類憐れみの令」に多少なりとも関係があるように思う。

原書である「野猪の蘇生」を読んだことがないのでこれは推察に過ぎないのだけども、おそらく元々の話は、生き物を殺してはいけないという世情の中で「猪を殺した(または殺してしまった)」と見せかけて、「実は殺していない(または死んでいない)」、というどんでん返しの面白さを狙った話だったのではないだろうかと思います。

「池田の猪買い」では、六太夫さんは、当てようとして外したのか、たまたま外れたのか、狙って当てなかったのかが非常に曖昧ですが、「野猪の蘇生」を下敷きとしているならば、実際には、"猪に弾を当てたくても当てる事が出来なかった" のだと思います。
その方が辻褄が合うので。

それが時代が下り、生類憐れみの令が廃止され、「池田の猪買い」が成立した頃になると、猪に弾が当たらなかったという事実だけが残り、あのような曖昧な描写になったんだと思います。

多分、ですけども。


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