2022年6月8日水曜日

飲み終わったら終わるラジオ(29) 「雰囲気の礼儀」

 まずはこの8分程の動画を見てやって下さい。


今回も後輩芸人の福人(ふくんちゅ)君のYouTube番組にゲスト出演してました。

今回の一文字は「れ」でテーマは「礼儀」、さらに福人くんの体験した「雰囲気の礼儀」の話でした。
(「続きを読む」以下、およそ2,580文字)


冒頭いきなり僕がぼやいてますが、これは撮影時間がとても深い時間帯だったからです。
さらに、福人はコーヒーを飲むとテキメン寝れなくなるそうで、だから「お前はもう寝られへんで」と言ってる訳です。
どうでもいい解説終わり。

さて、ここで言われている「雰囲気の礼儀」あるいは「軽い礼儀」というもの、これは歳を経るごとに増えていきます。
ただ、やってる本人にそれが「雰囲気の礼儀」になっているという自覚はありません。本人は本気で礼を尽くしているつもりなのです。

言葉を言い損なったり(大抵は適切な単語を知らないだけ)、大して取り上げるべき事案でもない事象をやたらと褒めたりと、空回りというか、そういう事をしてしまうんです。
でもこれは、表面上は礼儀正しく、腹の中ではせせら笑ってるような人よりはずっと良いのです。だからこそ笑い話にもなるんです。

件の元女芸人の子も、本人の中では、真剣に福人にあこがれて芸人になり、真剣に昔からの夢であった検察官を目指し、真剣に昔からあこがれてたテレビ局でバイトしたいと思ってた訳で、本人の中になんら矛盾はないのです。


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礼儀とかマナーという話になると、昨今話題になる事の多い「失礼クリエイター」ことマナー講師という職業、あれは「自分が食べていくために新しい(エセ)マナーを創出し続けていかなければならない」という悲しい現実的側面もあるのだが、実害の方が大きくて正直許容出来ないレベルにまで来ている感はあると思います。

そういった新しい「でっち上げのマナー」であっても信じる人は山のようにいるし、一度信じてしまったら最後、そのマナーを行わない者を心底無礼に感じてしまうようになってしまうという、厄介な問題がある。

例えば「ビールをお酌する時はラベルを上に向けて」という嘘マナーがあるが、これを信じた人は、 自分がお酌される時にラベルが上を向いていないと「無礼を働かれている」と感じるようになります。
知らなかった時はなんでもなかった事象に対して「無礼を感じる」ようになるのが嘘マナーの恐ろしいところなのです。

こういった場面、社会人であればそこでお小言や注意なども発生するかも知れません。お酌をしている方がもしこれが嘘マナーだと知っていても、力関係的におそらく反論出来ないでしょう。
こうしてめでたく嘘マナーは定着への道を歩みだすのです。

そして、こういった嘘マナーの数々は外国人には通用しない場合が多いのです。
この「通用しない」は、相手に言っても聞き入れてもらえないという意味ではなく、ラベルを下に向けてお酌(しかも片手)をされたとしても、無礼に感じないという不思議な現象を指します。

つまり、嘘マナーは日本人的な機微が判る者同士じゃないと発生もしないし理解もされない。結果、日本人同士を分断する方向にしか機能しないのです。
これが嘘マナーを糾弾しなければならない理由なのです。

ただ残念な事に、日本語には「敬語」という物があり、常時上下関係を意識せざるを得ない言語環境にあるため、こういった形の嘘マナーは今後もどんどん増えていくことでしょう。

相手に対して優位に立ちたい、怒りを発散したいという理由で積極的に嘘マナーに乗っかる人も出てくると思います。みなさん気を付けてください。


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マナーついでに。
(以下は麻雀の話なので知らない人は読み飛ばして下さい)

麻雀でもやたらとマナーに厳しい人はいるんですよねぇ。で、麻雀で鬱陶しく思うのは、マナーをルールと混同してる人がいる事。これは正直言って相当面倒くさい。

ルールというのは絶対に守らないといけないものだけど、マナーというのはせいぜい努力目標でしかない訳で、他人から強要されるのはちょっと違うと思う。
また、この手の「ルールとマナー混同さん」は、とにかく言い方がキツイ。
さらに「マナー違反、ダメ絶対」という論調でのみ挑みかかって来るし、ルールとマナーを混同している自覚もないので話が噛み合わない。
こうなると意地でも指摘してくるマナーには従いたくなくなる(意固地なので)。

そして、マナーにうるさい人でもルールの細かい部分には「まあ、それはテキトーで良いじゃないですか」的な態度になったりする場合があって、一体、ルールとマナーのどっちを重視してるんだね君はと、問い詰めたくなる時がある。

また、フリー雀荘でよく見た風景として、ツモを強く叩きつけるのをマナー違反として辞めてくださいと注意する反面、無言の倒牌で和了るのをルール違反としながらも、それでチョンボをとったりせず、実際には注意すらしない、というのが良くあった。

言うまでもなくルール違反なのは無言の倒牌の方で、雀荘としては本来こっちを厳重に注意しないといけないのだが、これは店側に目に見える実害はないし、単に「聞こえなかっただけ」の可能性もあるから、なかなか強く言えない。変に注意してお客さんが「もう来ない!」になると店側には明確に損だし。

でも、ツモ牌を強く叩きつける行為は、牌が欠けたり卓が壊れたりする恐れがあるから、雀荘としては目に見えての実害がある(*)。だから一度でも見かけたら躊躇なく注意をする。
ただ、実際の注意の仕方が「他のお客様の迷惑になりますので」というおためごかしな言い方になるのが実にアレなんですよね。
(*注釈:麻雀牌はセットごとに微妙に背の色が違うため、 基本的に牌一枚の交換でもフルセットの交換が推奨されており、替えるとなると高くつく)

このように、「守るべきルール」と「努力目標のマナー」がひっくり返っている理由が実際には単に「店の実利」にある、というのがちょっと頂けないところである。

麻雀業界は「とにかくマナーは厳格(でもルールはなーなー)」みたいなところが根底にあって、これは楽しく遊ぶためのハードルを下げるのと同時に、なんとなく囲碁・将棋界に対する隠れコンプレックスもあるんじゃないのかなと個人的にはちょっと思っています(ちなみに囲碁・将棋はルールがもの凄く厳格ですけどね)。

僕自身としては、麻雀はマナーどうこうよりもまず先に、もっとルールの厳格化や用具の改善をして不正行為やしょうもないチョンボが出ないようにするべきだと思ってます。

別に僕はマナーが大事じゃないと言ってる訳ではないですよ?
ルールの方がより重要だと言ってるだけです。

あとマナーとは別の次元ですけど、GPC憲章というのは簡潔な言葉で麻雀を面白くするための本質を突いてるなと思います。
あれは、もしかしたらルールやマナー以上に素晴らしいものなのかも知れないです。

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