2013年10月2日水曜日

文系がなるべく頑張って理論的に考える麻雀 (4)

文系がなるべく頑張って理論的に考える麻雀 第四回

書いてた本人も忘れてた「文系麻雀」。またまた「麻雀に対して真摯に向き合う日々」がやってきたので、急遽書きます。

今まで三回連続で ”押し” の話を展開し、一応前回で「押しは終了」と宣言したので、今回から ”引き” だと思った人も居ると思いますが、今回は ”運” の話です。

相変わらずメチャクチャ長いです。
それでも良ければ見て下さい。
(個人的にはとても興味深い話を書いてます。特に帰結が)




では、「確率も期待値も出てこない文系理論」をどうぞ。
赤のボールド文字で示されているのは未定義項目です。
(未定義項目とは、「読めば言葉の意味は判るが、厳密な定義をしていないので個人によって受け取り方に差がでる曖昧で揺れのある言葉」の事)

運と実力どちらが必要か?
麻雀というゲームによく言われるセリフに「実力どちらがより重要なのか?」みたいなのがある。
難しいように思えるが、実はこの質問の答えは簡単だ。

である。

ランダムに並べられた牌を使うというゲームの性質上、麻雀にの存在は絶対不可避だからである。のない麻雀は絶対に存在し得ない。

逆に。
ツモってきた牌をただ捨てるだけという仮想の人物Aさんを考えると、Aさんは牌の選択に自分の意志を全く反映させない訳だから、ある意味「実力ゼロ」と評価しても差し支えない。しかし、このAさんが対局に参加してもゲームは滞りなく進行する。つまり実力は無くても構わない。

実際のところ、ルールを憶えるというのも実力のうちなので、リアルで対戦する時に「実力ゼロ」というのはほとんどあり得ないと思うが、ネット麻雀での切断は実力ゼロ状態と判断出来るし、上手く調教した犬や猿ならなんとか一局ぐらい麻雀を打てそうではある。

まあ、実力という言葉がどこまでを指す言葉なのかが判らないという問題もあるが、麻雀においては「自分のところに来る牌は一牌たりとも自分の要求を反映させたものではない」という事実があるので、やはりの要素の方が圧倒的に大きいと言わざるを得ないだろう。

すこし話を変えるが。

麻雀というゲームは例えて言えば、「主宰者から押し付けられた履物を強制的に履かされてする100m走」みたいなもので、身体はどんなに立派な短距離走者体型だったとしても、足元の靴が悪ければまともに走ることは出来ない。つまり体型が麻雀に対する知見で、履物が運、そう考えると解りやすい。
さしものウサイン・ボルトだって、鼻緒の切れたゲタを履かされれば、スニーカーを履いた僕に負けるだろう。そう言うもんだ。多分。いや、知らんけど。

「体型 + 履物 = 麻雀説」図解

変な履物を履かされる場合が、いわゆる「運が悪い」や「ツイて無い」状態。
せっかく鍛えた身体能力(麻雀に対する知見)もまるで発揮出来ずに失速し、最下位に沈む。そんな状態。

逆に自分にぴったりの靴や、あるいは乗り物まで貰えた場合が「運が良い」や「ツイている」状態。
自分の身体能力を遥かに超えた神の領域まで見る事さえ出来る(ホンマかいな?)。

麻雀によくある光景
例えではあるが、麻雀を説明するのにそんなに大きく外しているとは思わない。
やっぱりの方が大事なのだ。

運と実力の意外な関係
もうちょっとだけ、実力の関係を掘り下げて考えてみる。

どんなに麻雀に対する造詣が深く、知見があり、経験豊富な人でも、運の良い初心者には勝てない。これは事実です。
というか、相手が初心者かどうかに関わらず、麻雀は基本的に運の良い人には勝てないゲームなのだ。

そして残念な事に、この運の良し悪しを具体的に示す方法は今のところ存在しない。
運の良し悪しを具体的に示す方法が無いので、実力がどのぐらいの割り合いで影響し合っているのかは、判りようがない。

つまり、上の図で「実力全体的な調子」と描いたが、この実力を分かつポイント(線)は実際には存在しないのだ。

「そんなバカなー!実力は確実に個別に存在してるでしょうよ!?」

ま、確かにそうだし、僕もそう思う。
麻雀を打ってる時に「あっ、こいつヘボやな(実力に対する評価)」とか「今日は運が良いな(に対する評価)」とか実際に思うし。

ただ、麻雀はパズルではない。

パズルだったら絶対的な実力を把握する事も可能だと思うが、麻雀はゲームで、しかも悲しいかな、その根幹に「の存在が絶対不可避」というルールが敷かれているゲームなのである。その条件であれば、参加するプレイヤーは、どんな行動をとっても否応なしにの影響を受ける。
つまり、行動とは不可分な関係なので、ゲーム中に純粋な実力だけを切り分けるというのは不可能なのだ(そう判断せざるを得ない)。

僕の言わんとしていることを図に表すと、このようになる。


どんな行動をとってもの影響は免れないし、そのの影響力は把握することが出来ない。麻雀に対して深い知見のある人の行動も、ルールをぎりぎり知ってるだけの人の行動も、等しくの影響を受ける。そして、それが結果に繋がる訳である。

つまり実力というモノは、今まで考えられていた

純粋な実力その時の調子

ではなく、

「行動 +  = その時の実力

という事になる。

そう!ここまで長々書いてきた結果はつまり

実力のうち」

という一言に集約されるのだ!

昔の人はエライ!
これはまさに真理だ!

そんな訳で今後は、「このヘボ野郎が!」とか「運だけで勝ちやがって!」とか思わず、負けた時は素直に相手の実力を認めましょう。
それが麻雀です。

ちゃんちゃん!



※実はものすごく限定的な場面に限り実力だけを把握できる場合があるし、の影響をほとんど受けない行動というモノもある。これについては、いずれ書く(と思う)。



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