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2026年9月17日木曜日

上岡龍太郎さんの発言だそうですが

気になるポストを見たので反応しておく。


 他の二人はどうでも良いが、こと上岡龍太郎さんの発言となれば、真偽をハッキリしてもらいたいものである。

上岡さんの発言で上記の発言に近いものといえば

「テレビというのはそやからね、なにが面白いかと言うたら、素人が芸するか、玄人が私生活見せるか、このふたつやね」

というのはある。

これは「鶴瓶上岡パペポTV名作復活祭」の第四夜 (1991年7月25日放送)「スコップを操るウエイトレス」での発言である(通常放送は1988年2月9日の第44回放送)。

しかし、見て解る通り、これは「テレビが面白いのは」という話で、「これからは」とか「未来では」みたいな話はしていないし、ましてや引退理由として語られたものではない。

また、上岡さんの引退理由は本人の口から「僕の芸は21世紀には通用しない」というのが語られている。

なので、

「これからは素人が芸して玄人が私生活を見せるようになる」って引退したので

と書くのであれば、証拠となるなにかを見せて欲しいと思う。

自分の知らない「上岡龍太郎」がそこにいるのなら、是非とも見てみたいので。

知りたいだけで、別に詰めてる訳じゃないです。


追記:

パペポTVの該当箇所を手持ちのビデオから見つけたので載せておきます。



2026年9月2日水曜日

バレットタイムがより簡単に

 映画「マトリックス(1999年/ウォシャウスキー兄弟(当時)監督」で有名になった「バレットタイム撮影」が、たったのスマホ3台で可能になるそうです。

 

本家の「マトリクス」では、役者の周りに120台の一眼レフをずらりと並べ撮影したそうですが、それでもコマ間にはCGによるある程度の映像補完が必要だったそうです。

当然この新しい3台のスマホによるバレットタイム風の撮影も映像の補完・再構成をしているんでしょうけど、それがスマホ3台分の映像で済んでいるところが凄いですね。

2026年8月26日水曜日

大阪弁の哀しみ

なにか大阪弁(関西弁)の話題が X で頻繁に上がってくる。

例の「4820円」も面白かったが、個人的にはこれが一番好きです。


 大阪弁話者の頭の中には、常に「大阪のおっさん」が住んでいて、「〜わ」で終わる文章を黙読していると、その発言主が上記のようなお嬢様であっても、容赦なく「大阪のおっさん」に侵食、上書きされていくという哀しい運命を背負っている。

大阪弁話者は、この「〜わ」という語尾がいわゆる女言葉のそれと同音異義となっているのを幼少期のかなり早くに気付き、文脈によってきちんと使い分けるぐらいの能力は備えている。

そのため漫画など視覚情報が多いコンテンツであればキチンと「〜わ」が女言葉となって脳内で再生されている。

ところが、これが活字だけとなると、とたんに「大阪のおっさん」に脳内侵入され、女言葉として文章を構成することが非常に難しくなってしまうのである。

2026年8月23日日曜日

「長回し」とカットの継ぎ目

始めは「スター・ウォーズ」のデス・スターへの突入シーンが実は「2カットで出来てる」と気付いた人のポストから始まった。

それに感化された人達が、「ちょっと気の利いた」映像を教え合い、一人がこの1997年の清涼飲料水のCMを紹介した。

この CM は僕も知らなかったですが、とても良く出来た映像ですね!(CMの詳細は → St George [advertisement])

長回しが「驚異的に長い!」と話題になった映画「トゥモロー・ワールド(Children of Men/アルフォンソ・キュアロン監督)」の公開が2006年ですから、それに先立つこと9年も前に、これほど見事な映像が造られていたのはまさに驚異的ですし、制作側のチャレンジングな姿勢が素晴らしいと思います。

2026年8月22日土曜日

化けてでも出てきて、という願い

 


 この方のお父さんは、生前から積極的に「出てやる派」なのがちょっと羨ましいです。

うちのお父ちゃんも、いつでも良いので出てきて欲しいもんです。僕の事を恨んでても呪ってても良いので。

自分はいわゆる幽霊というものに対して非常に否定的な立場なのですが、自分の周りで亡くなる人がどんどんと増えてくると、「幽霊というのは存在した方が夢があって良いな」と思うようになりました。

恨みつらみや恐怖の対象で語られる事の多い幽霊ですが、その始まりはやっぱり親愛の情から「死んでもなお存在して欲しい」という願いから生まれたものなのではないでしょうか?

よく考えたら「スター・ウォーズ」のフォースの霊体なんて、まるっきりこの「善き人の幽霊」と同じ概念ですよね。ゾンビ好きのアメリカ人からしたら、もしかしたらあれは斬新なアイデアだったのかも知れないですね。


2026年8月18日火曜日

「フルチン」と「フリチン」の失われたテキスト


この渡辺電機(株)さんのポストを見てふと思い出した。昔、「フルチン」と「フリチン」の違いに関して、かなりキチンとしたテキストを書いたな、と。

残念ながらそのテキストは当ブログではなかったようで、過去に書いていたいくつかのブログのどこかに使われたようだ。

その時に書いたテキストの本文はもう忘れてしまったが、結論だけを書くと「フルチン」と「フリチン」では、日本語として「フリチン」の方がより正統な地位にあると、確かそう結論付けたはずである。

当時、調べてみたところ「フリチン」の前には「振り魔羅」という言葉があり、この「魔羅」がテイストを和らげた「チンチン」に置換されたのが「フリチン」の成り立ちだと発見したからである。

「フルチン」は、言い間違い、聞き間違い、読み間違い、方言的言葉の変遷等々を経て「能動的に振るチンチン」という意味へシフトしつつ、亜流から「フリチン」に匹敵する二代巨頭へと成長したと、個人的にはそう思います。

日本語として正しい解釈なのか、「失われたテキスト」の本文との整合性はどうなっているのか、それは判りませんけども……。


2026年8月16日日曜日

神よ、ボブ・ディランを救い給え!

 今さっき、ふと目に止まったポストにこんなものがある。

スティーブ・ジョブズが死んで、私たちみんなが仕事失った、ジョニー・キャッシュが死んで、私たちみんなが現金失った、お願いだから神様、ボブ・ディランを死なせないで

"スティーブ・ジョブズが死んで、私たちみんなが仕事失った、
ジョニー・キャッシュが死んで、私たちみんなが現金失った、
お願いだから神様、ボブ・ディランを死なせないで "


"Jobs" だから仕事、 "Cash" だから現金というのは解る。

ハテ? "Dylan" になにか意味があったっけ?と考える。

ここでふと思いついたのは、「モンティ・パイソン」である。

2026年8月15日土曜日

「このポストに興味がない」が出ない

 X のポストで右肩の「…」をクリックしても「このポストに興味がない」が出てこない場合があって、その事を調べていて下のポストを発見した。



実はこのポスト、


なんと「このポストに興味がない」が出ないのだ!


これは、狙ったポストなのか?

それともたまたまなのか?

謎は深まるばかりです。

「考察」というゲーム

 


 昨今の Web にはびこる「考察」とやらを読むに、「作者の用意した答えを当てる」よりも、「自分の考えたものを答えにしたい」みたいな雰囲気をひしひしと感じますけどね。特に漫画とアニメは。

大体、作者がいちいち「答え」を用意してくれていると思うのもどうかと思いますけど……。


「考察」や「伏線回収」という言葉でちょっとウンザリした話:

2026年8月13日木曜日

ディープ・パープルとリッチー・ブラックモアの奇跡の合流(おっさん感涙篇)

8月12日の夕方、X に衝撃的なニュースが駆け巡った。

現在アメリカツアーをニューヨーク州で展開中の Deep Purple (のイアン・ギラン)に、同じくニューヨーク州ロングアイランド在住のリッチー・ブラックモアが一曲だけ一緒に演奏できないか?と連絡したというのだ。

イアン・ギランとリッチー・ブラックモアの確執を知っている人からすれば「嘘でしょ?」みたいな話だから、この計画が演奏開始5分前に決裂したとしても「ああ、やっぱりそうなるか〜」と思えるような、そんな夢幻のような話であった。

しかし、この再合流は夢でも幻でもなく、わずか数時間後には現実となり、全世界の「その世代」を熱狂させたのだ。もちろん僕もその一人だ。


最大限の敬意を持ってリッチーを迎え入れるドン・エイリー
君も Rainbow でいろいろあったろうに……
リッチーは左足を引きずり気味でしたね


お互いに指差しあうリッチーとギラン
それを見て笑顔になるイアン・ペイス


こんな場面が見れるとは、感慨無量です
後ろでニッコニコ顔のドン・エイリー
終始とびきりの笑顔でしたね


さり気なく Rainbow も再結成


第二期ディープ・パープルが四人
これがずっと見たかったのだ(涙)
ジョン・ロードもモンティ・パイソンばりに骨壺で参加してくれ

(※ 動画は X にも YouTube にも溢れるほど上がっているので、あえてリンクしません)

リッチーの33年ぶりの Deep Purple での演奏。

リッチーのストラトキャスターは、昔からピッキングで引っかかるので思いっきり下げていたセンターP.U はピックガードと同じ色になり、あれだけ使ってたアームは外され、Deep Purple 脱退後の Rainbow から使っていた MIDI のピックアップも無しと素のような状態でしたが、シールドを挿し、試しとばかりにサッと弾いた音が、いきなり「リッチー・ブラックモアの音」だったので、そこにまず痺れました。

あとはまあ、技術とかそういったものを超越した素晴らしい時間でした。



ありがとうディープ・パープル!

ありがとうリッチー・ブラックモア! 

ありがとうキャンディス・ナイト嬢!

僕の1993年の思い出も、これで完全に成仏しました!


来日直前でリッチーが脱退
急遽ジョー・サトリアーニが代役で参加
レア度の高いライブだったが
「ちょっと違う……」という気持ちも残った
(ちなみにジョー・サトリアーニは大好きです)

2026年8月12日水曜日

これって一体どういう意味ですか?

 



 

Ado さんが熊本地震の被災者の方へ4,000万円寄付したとする発表を画像で引用しつつ

「あなたはAdoの曲を聴いたことがない人に対しても、本当の人生の脇役になった。 」

と書いてあるのですが、この日本語の意味するところが解らない。

最初、日本語以外のどこかの言語で書かれたポストが  X の自動翻訳機能でこんな文章になったのかと思って「原文を表示」のリンクを探してしまったぐらいだ。

「あなたはAdoの曲を聴いたことがない人に対しても」ここまでは判る。若干曖昧ながらも、ここで言う「あなた」は、Ado さんの事でしょう。

つまり、「Ado さんは Ado さんの曲を聴いたことがない人に対しても」という意味だ。

「も」が付いているから「聴いたことのない人」だけではなく「聴いたことのある人」も含まれると読み取れる。そういった「聴いた事のない人もある人も熱心に聴いてる人も存在自体知らない人も一切合切含んだ人々」の「も」だ。とりあえず、「聴いたことのない人」を主題にした形の「も」だ。

ここまでは良い。問題は次だ。

「本当の人生の脇役になった。 」

この部分の意味が全然解らない。

実際のところ、この一連の文章が「褒めてる」のか「貶している」のかも良く解らない。

一般的に見れば「脇役」という言葉を使うのは誰かを腐したい場合だと思うので、そうすると、これは Ado さんを下げた意味になるはずである。

しかし、意味は解らないなりにも「それは違うのではないか?」と思わせる雰囲気がある。

これはなにか Ado さんの曲の引用なんでしょうか?

若い人の新しい言葉遣いなのでしょうか?

これって、本当にどういう意味なのでしょうか?

本人に直接訊くと嫌味っぽく読まれる可能性があって、相手が気を悪くするかもしれない。なので、誰か解る人はこっそり教えて下さい。



2026年8月8日土曜日

無冠の帝王

 


 もしかして「無冠の帝王」って、意味として「純粋な悪口や揶揄」に変化してきているのだろうか?

個人タイトルを獲ってなくとも「西武在籍11年でリーグ優勝8回日本一6回の常勝チームの不動の4番であり続けたことに最大の価値がある」からこそ「無冠の帝王」って言われてるんですよね?

因果関係が逆だと思うんだけど……。


2026年7月30日木曜日

唐突に思い出す NeXTSTEP のダイアログボックス

 X である人のポストを見て、ちょっと思い出した。

このポスト

上記画像のダイアログ部分


コンピュータ様を使う時、このような無能な、あるいは非情なダイアログボックスを見ることがあります。

ボタンに「OK」と書かれていても、全然 OK な気分になれません。

かと言って「キャンセル」と書かれていても「いや、キャンセルしてんのはお前や!」という気持ちになって、心が落ち着かないです。

そこでフッと思い出す NeXTSTEP のダイアログボックス。

2026年7月23日木曜日

コミュニティ・ノート物語

ブログに「埋め込まれた X のポストだけ見る」のと、その下にある「実際に X で表示されるコミュニティ・ノート付きのスクリーンショット」を見るのとでは、なかなか味わいの違うポストになっています。 


しかし「逮捕暦」て……。

逮捕歴でしょ?


2026年7月20日月曜日

大切なもの


 真面目にですね、このバッカスがブックスに変化した一文を読んで「センスが限界突破してる」と思える感性や、面白すぎて笑い転げるという才能というのは、人生を明るく楽しく生きる上でとても大切なんだと思います。

 お笑い芸人以外のいわゆる「お笑い偏差値が高い人」ほど、第三者から見て大して楽しそうにも面白そうにも見えないので。


2026年6月11日木曜日

サグラダ・ファミリアとガウディと日本人


サグラダ・ファミリア(聖家族教会)のメインの塔となる「イエスの塔」の完成でバルセロナだけでなく、世界中が沸き立つ、そんな6月10日でした。

この記事を読んでいるアナタも、上記ポストにある動画をテレビをはじめ様々な形態で見られたことだと思う(見てない人は今見て下さい)。

記念すべき日のための、特別なイベントの、公式の記録なのだ。

ただこの動画を観ると、どうしてもドローンによって描かれたアントニ・ガウディが夜空に浮かび上がる場面で「あ、これは笑いを取りに来たんやな?」と、そう思ってしまう自分がいる。

実際に、サグラダ・ファミリア全体がフレームに納まるような引きの映像を使い、その右側にガウディが浮かび上がる場面がかなり丁寧なフリになっており、次の瞬間の「寄り」でガウディの顔が画面中央にデーンと現れるのを見ると、どうしても笑ってしまうのである。特に目が「点」なのが面白すぎる!ズルい!卑怯だ!

ここで絶対に笑ってしまう
目が点なのがズルい!


いやもちろん、製作者側は絶対に笑いを取りに来てる訳ではないと思うけども。

でも、完璧過ぎるのだ!面白すぎる!

こういうのを「面白い」と思うのは、大阪に生まれ育った人間の悲しい性なのか?
それとも日本人的な「お笑い基礎体力」なのか?
外国人はこれを見ても面白くないのだろうか?

かつて、ソビエト連邦の最高指導者であったスターリンも、夜空に凧と花火で自分の肖像画を描きあげた。その映像は今も残っているが、当時の技術的制約でか、絵が小さくもかなりの面白映像となっている。

今回の「ドローン・ガウディ」の面白さは、その「空に舞うスターリンの肖像画凧」の面白さを踏まえた上での面白さなのであろうか?

今のXならポストに対するリプライは自動的に翻訳されて相手に届くので、上記ポストにこの感想をぶつけてみるという大胆な案もあるが、なんだか「異国の地にいる冷笑風のバカ」と思われそうで実行する気にならない。

しかし、気になる。これは本当に面白くないのだろうか?

正直言って、僕は何回見ても笑えます。


2026年6月5日金曜日

フォローしてどうなるのか問題

 


先日、まあこんな感じでダイレクトに「フォローのお願い」が来たんですよね。

この「いまむら はやと」君は、一応、僕の知り合いで後輩です。何度も一緒に舞台に出ましたし、なんならコイツの結婚式にも僕は参列してます。そして、コイツの「前のアカウント」を僕はフォローしていました。

しかし、僕はもう、あんまり後輩等をXでフォローしたくないんですよねぇ……。

理由としては、多くの後輩が「フォローして下さい」とは言うものの、フォローしたからといって X 上では特に何の交流も発生しないからです。

スパンキープロダクションの後輩も、礼儀なのか「とりあえず」なのかは知らないが「フォローして下さい」と言うので相当数をフォローをしたが、結果、やはりなにもない。

時たま僕が気まぐれに後輩の舞台告知なんかをリツイートしたりすると、僕のどうでも良いようなポストをひとつだけ「イイね」してきたりする。本人からしたら「お返し」のつもりなのだろう。

でも正直言って、普段会話も「イイね」もないのに、こちらがリツイートした時だけ「お返しの『イイね』」をするような「そういう人間関係」は、別にええんやけどなぁと、そう思う訳ですよ。不自由でしょ、それって?不自由な人間関係は増やしたくないんですよ。

だからと言ってこちらからわざわざフォローを外すような真似はしませんが。絶縁したいならともかく。

Xでは、フォローして無くてもメンションは飛ばせるし、別に相互フォローの形にしなくても良いと思うのだがなあ……。



とか思って放っておいたら、追いカツオならぬ「追い申請」まで来てしまった……。

どうしたら良いのか……。

ああ、やだやだ。


2026年5月21日木曜日

「『打者一巡』はどこから」問題


 面白い話題ですね。わざわざ日経の校閲がこれをポストするのは、やはりちょっと重みが違うような気がしますしね。

個人的には「打者一巡」に必要な人数は9人だと思います。ただ「打者が一巡しました」と言うのは大体が10人目の場面なので、そこが問題をややこしくしているのだと思います。

つまり「一巡目の終了」と「二巡目の開始」がぴったり重なっているところが、問題の根源なのだと思います。

この「一巡」という状態が9人目と10人目でどのような違いがあるのか、すこし順番に考えてみましょう。

  • 9人目が打席に入る
    一巡目であるが打席が完了していないので「一巡しました」とは言えない。「一巡目最後のバッターです」とは言えるがほとんど言わない。「一巡するか?」とは言えるし、実際に言うアナウンサーも多い

  • 9人目の打者が塁に出るかアウトになって打席が完了する
    一巡目が完全に完了する。この時点で「打者が一巡しました」と言っても嘘ではない。実際に9人目がヒットを打った時点で「打者一巡!」と言うアナウンサーも居る

  • 10人目が打席に入る
    二巡目の開始。「打者が一巡しました」と言っても嘘ではないし、ビジュアル的にも打者が一周りしたのが非常に解りやすい


アナログ時計だと時間の開始である「12」に針が戻らないと一巡したことにならないから、一巡目の終わりと二巡目の開始はぴったり同じになる。だから解りにくいですが、野球だと、9人目の打者と10人目の打者の間には「ボールデッド」があるので、まだ理解しやすいと思います。

このボールデッドになった瞬間こそ「打者が一巡した」瞬間な訳ですよ。

つまり、「打者一巡」に必要なのは9人の打者の「打席の完了」であり、10人目からは二巡目の開始だから、「打者が一巡しました」と過去形を使って表現しても嘘ではない、という事だと思います。

これが正しい日本語の解釈なのかどうかは、僕は知りませんけどね〜。


2026年5月2日土曜日

女流棋士の「終わりの始まり」になるのではないのか?


なんとなくであるが、「女性+将棋」の気運を高めたいという気持ちが、どんどんと空回りというか空吹かしというか、悪い方向へ向かっている気がする。

特に今回のコレは、もしかしたら最悪手だったかもしれない。下手をすると女流棋士という制度の根本から考え直させる機会になるかもしれないぐらいのインパクトがある。

日本将棋連盟としては、最近の風潮に従う形で「男の世界ではない将棋界」、「女性にも開かれた将棋界」をアピールしたい面もあるのだろうが、女流棋士にいろんな特例をもりもり導入するのは、将来的にはかなりマズイはずである。

女流棋士と「プロ棋士」が制度的に完全に切り離された世界なら、女流棋士にどんなルールを適用しても構わないだろうが、編入試験で「女性棋士」が誕生する可能性がある以上、中途半端な特例は、のちのち遺恨を残すことになりかねない。

ただでさえ世間には「女流棋士」と「女性棋士」の違いが分からない人がたくさん居る上に、頭のイカれた平等主義者が制度の違いを理解した上で(知らないフリをしてでも)将棋界への攻撃材料に使ってくる未来が容易に想像できる。


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女流棋士に対するプロ編入試験も、これからきっと色々と問題が起こると思う。

プロ棋士という意味において、日本将棋連盟としては、なんとしても女性棋士を誕生させたい思惑もあるだろうから、女流棋士に対する編入試験のハードルは今後もズルズルと下がり続けると思う。しかし、そうやって誕生した女性棋士が、奨励会を突破してきたプロ棋士と本当に伍して戦えるのか、というのは将来絶対に問題になるだろう。

そして、奨励会で涙をのんだ男性にとっては、女流棋士自体がかなり不公平感の強い制度だと思うのだが、現代の「平等意識を当たり前に持っている」若い世代は、これからの女流棋士制度をうまく納得できるのだろうか?

個人的には女性棋士が誕生して欲しいという思いがある。編入試験であったとしても、最初の一人が誕生するのには大きな意味がある。

ただその前に女流棋士自体が嫌われ者であったり、目の上のタンコブ、腫れ物に触るような存在になっては意味がないのだ。

女性棋士が誕生しないのを男女問題と絡めても揉めるだけで意味がない。

プロ棋士になれるかどうかは、実力だけの問題にしてもらいたい。

以前、女流棋士のプロ棋士編入試験の条件改定にあたって藤井竜王・名人が発した「棋力の担保は取れているのでしょうか」という言葉は、とてつもなく重いし、若い世代の鋭敏な平等意識が現れている。

ここに危機感がないと、将棋界は数年間荒れると思います。

願わくば奨励会から女性棋士が誕生せんことを。

2026年3月24日火曜日

鳩とマジシャンの真の関係性とは?


 なんとなく一見「ほのぼの話」な感じではあるが、(一応)マジシャンである自分がこういったポストを見ると「ふーん、あっそうなの」とジト目で読んでしまうぐらいには、アレな感じがしますね。

上記の場面、あり得ない話ではないが、正直かなり不自然な状況だなとは思ってしまう訳です。