書きかけで放ったらかしにしている記事をなんとか仕上げて発表しようシリーズ・第一弾。
今回は2024年1月に冒頭だけ書いて、そのまま放ったらかしにしていたこの記事をば。
ちょっとムカつく事があって書き出したので、なんとかそれを穏当な表現にしようと四苦八苦したのが見て取れる文章でした。ですんで、加筆時にいろいろと書き換えはしてます。
では、どうぞ。
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行列の出来る店というのがあって、これは世の中では割と「良いもの・良いこと」のように扱わているフシがある。
旧共産圏の「行列はするけどモノはない」という悲惨な行列に比べて、日本の行列は大体の場合、時間の経過と共にお目当てのモノとの距離が近づき、最終的にはご対面が叶うという、まことに幸せなシステムだからだ。
行列は、お店からすれば「繁盛している」というサイン、お客からすれば欲しい物を手に入れるための「幸せになる待ち時間」以外のなにものでもないのだ。
だから、並んでいる人たににもあまり悲壮感がない。むしろニコニコしながら1時間、いやもっと長時間を平気で並んだりする。行列の嫌いな僕からすれば「アホじゃないの?」としか思えないが、本人たちが幸せならそれはそれで良いと思う。
ただ、僕はそれで良くても近隣住民や店舗は正直大迷惑だろう。
そこでよく思うのだが、(特に飲食店で)行列が出来ても「だってそれは仕方ないじゃない」風な「見逃してくださいよ」が横行しているのは、はっきり言って税金泥棒だから、きちんと是正しなければならない、という事だ。
田舎の人気店で自身の私有地に行列を形成しているのはともかくとして、都心部での人気店の行列は、公共の財産である公道に並ばせている場合が多い。単なるいち店舗の商売のために、公共の財産である公道のスペースを不必要に占有し続けている訳である。
これを国税庁が放っておく理由が分からない。
年間平均でどれぐらい占有しているのかを調べ、土地の値段と比較して、固定資産税を取ったらいいのだ。
行列の出来るお店は、「うちだって行列の件ではいろいろ考えてやってるんですよ」というような事を言うだろうが、「行列」自体が人気店の証だから、お店側としては行列の解消に積極的になるはずがない。
毎日行列が出来るのを内心ホクホク顔で眺めつつ、行列の事で近隣住民になにか言われた場合に備えて「やれやれ」としかめっ面をし、「うちだって大変なんすよ」と被害者面を忘れない。
大体、飲食店以外は郵便局でも銀行でも病院でも薬局でも店内にわざわざ「待ち合い」を作ってるのに、なぜ飲食店だけは「すいやせんねえ、行列できちゃって」が当たり前のように許されるのか?
本当に行列が出来て申し訳ないと思うなら、行列が解消するまで毎月50円ずつでも100円ずつでも値上げしていけ。行列が解消した値段がそのお店の適正価格だ。これならバイトを雇うことも、行列を消化するために必死になって回転率を上げることもしないで済むだろうよ。
とにかく、値段据え置きのまま、あるいは待ち合いスペースを増設しないままで「行列が出来てすみませんねえ」は通用しないのだ。それで勝手に公共の道路を使うなら、行政がきっちり使用料を取るべきだ。
行列の出来るお店は、行列を積極的に解消するよう努力しろ!
見栄を張って行列を誇るな!
と私は言いたい。
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僕の行動範囲にも何軒か「行列の出来る店」があるが、その内の一店舗がとても悪辣なので、非常に腹が立っている。そして、この店のおかげで、行列の出来る店が嫌いになったと言っても過言ではない。
その店は結構前から行列の出来る店だったのだが、2,3ヶ月閉店して改装リニューアルオープンをする、という事だったので、行列に関しても何らかの手を打ってくるものだと思っていた。
ところが蓋を開けてみれば、店内の作業スペースをキレイにし、什器を入れ替え、外装を新しくしたが、お客さんの待ち合いスペースなどは1mmも設けられなかったのだ。
おまけに新しくした可動式ショーケースをアーケードの通路にはみ出させて設置し、そこで会計まで始めたもんだから、行列はアーケードの通路真ん中まで大きくはみ出し、もともと交差点の角にあった店舗だったので、出会い頭で人が衝突しやすい、非常に危なっかしい構造となってしまったのだ。
しかし、そんな状況になっても、店側は行列を誘導する人員も配置せず、行列と通路を分けるロープやコーンさえも置かず、行列は行列で早めにショーケースを見ようと大きく通路にはみ出して通行人の邪魔をし、その癖「見てるだけですけど!」と自己正当化と被害者面を忘れないという地獄のような様相なのである。
いつか事故が起こってえらい目に遭うと思うが、店も店なら客も客なので、勝手に自滅すれば良いと思います。
「◯◯商店街」の△△と、その行動を諌めない商店街自治会は、反省するか早急に潰れて下さい。いや、マジで。
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