2022年7月3日日曜日

飲み終わったら終わるラジオ(30) 「婚活と察し」

 まずはこの11分程の動画を見てやって下さい。


今回も後輩芸人の福人(ふくんちゅ)君のYouTube番組にゲスト出演してました。

今回の一文字は「ほ」で、「ホスト・ゲスト」から「婚活パーティー」、「察しろ文化」の話題へと。
(「続きを読む」以下、約2,060文字)


冒頭いきなり、福人くんが「ホストとゲスト」で手を指す方向を間違っているのに気付いた人はどれぐらい居るのだろうか?

「ホスト」と言いつつ僕を指してしまったのは、僕が先輩であるという変な遠慮から現れた自身のポジション感覚の喪失なんでしょうか?

これこそ前回の「雰囲気の礼儀」なんじゃないのかね、福人くん!?

まあ、それはどうでも良いんですけども。


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婚活パーティーの話があったので、僕もひとつだけ。
福人以外の別ルートで複数回聞いた話なんだけども、本当かウソかはよく分からないので、そんな話もあるのかな?ぐらいで読んで下さい。

実はここ数年、おおよそ大体10年ぐらいに渡って、男性参加者がどんどん減ってきている、という話が婚活パーティー界ではあるようです。

「マッチングアプリが出現したから?」とか、どうもそういう事でもなく、そういったアプリが一般化する前から、男性は婚活パーティーから徐々に撤退し始めていたらしいです。

なかなかにわかには信じがたい話ですが、婚活パーティー界隈では「女性過多」がしばし問題になるそうです。

今でも「女性は無料、男性○千円」みたいな募集は普通だし、男性側の年収設定を厳しくするタイプの婚活イベントはあるのだが、どうも運営側は男性側の参加者が希少な海洋生物のごとく「不漁」になってきていると、そう感じているのだそうだ。

身近な現実を見るに、先日話題になった令和4年版男女共同参画白書の「20代男性の約4割はデートの経験がない」というデータも、なんとなくその傾向を表しているような気もする。

さらに言うと、この「20代男性の約4割はデートの経験がない」が、「したいけど出来ないんだよー!ちくしょー!」みたいなものではなく、はなっから「する気がない」、「メリットを感じない」みたいな雰囲気が漂っていて、変な悲壮感が感じられない。

漫画を見てみても、一昔前には少年誌・青年誌にたくさんあった「モテたいんだよー!」、「彼女が欲しいんだー!」みたいなモテナイくんが登場する漫画は、あまり見なくなったような気がする。

今はなんというか「出会いがない」と言いつつも、その返す刀で他人をとことん拒絶している、もしくは人間以外の娯楽が対人関係以上に楽しい、そんな時代になっているような気がします。

僕らが子供の頃、ファミコンで遊んでいると「そんなんで遊んでんと、外行って友達と遊んでき!」と怒られた言葉は、約40年の歳月を経てようやく現代で花開いたのだと、そんな感じがします。

あれは早すぎた言葉だったんですね、きっと。


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「察しての文化」というか、僕はアレが嫌いです。

自分の要求を遠回しに示し、結果として言わずに事を思い通りに強制するような手法で、その強制法の裏には「不機嫌になる」というわがままが潜んでいる訳ですし、やられる側にはなんにも良いことが無く、コミュニケーションとしてのコストが高価過ぎる。

本来「察する」というのは察した方の能力を高く称賛してトントンなのに、現状では、上手く察せさせられなかった側が己の表現力のどんくささを自己批判もせず「解らない方が悪い!」と不機嫌に喚き散らかしているだけなので、察する側が「理解した上で何かをし、そして褒められもしない」という三段構えの苦役を要求される不均衡を生んでいる。なんとも酷い話だ。

大体、「察する」の仮の対義語である「察せさせる」という言葉は日本語としてきちんと成立しているのかどうかもよく分からない状況だ。
具体的にどういう状態なんだ?「察する」ことを「させる」って。
え?どういう状況なんだよ?第三者にも分かりやすいように描写してみてくれよ、国語辞典くん。「察する」ことの使役状態って、どういう状況なんだよ?え?国語辞典くんよぉ?
ジェスチャーゲームか?ん?

大体、察してもらうよりも言う方が早いし確実だろうよ。
なんでそんなに言いたくないんだよ。
暗殺の依頼でもして、使用者責任を問われるのを避けてるのか?
弁護士か?弁護士の入れ知恵か?
まったく!

とまあ、事程左様に僕は「察しての文化」が嫌いなのです。

せめて「察しての文化」が残ったとしても、察した方が聡明で、察せられなかった方はクルクルパーの大うつけ者という事にして欲しいです。


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日常生活の「察して」と違って、舞台上は「察して」、「察しろ」が交錯しますし、察しの悪い人はかなり明確に「出来ない人」になります。

でも、これは仕方ないと思います。

僕は察するのが苦手なので基本的には一人の仕事ですが、それでもお客さんの雰囲気については、ある程度以上の「察する能力」を使ってますし、舞台やイベント全体についてはきちんと察しようと努力はしています。
別に「察する」のを放棄している訳ではないのです。

福人くんとのこの「飲み終わったら終わるラジオ」も、二人の「察して・察しろ」が複雑に入り混じっています。

そして、それらを後で確認すると大体は噛み合ってるけど、ものすごく上手く察し合ってるかというと、全然そうではないというのが解ったりします。

それが二人の演芸人としての現在のポジションを表している訳です。

そんな二人の心情を、どうぞお察し下さい。


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